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「白河の関〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

白河の関の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
一人旅であった。二人は仲睦まじく諸国を巡礼し、つつがなく故郷へ帰ることになって、白河の関で袂を分かった。関には昔ながらの秋風が吹いていたであろう。 その時に、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
雲霧の彼方《かなた》に、安達ヶ原がある、陸奥《みちのく》のしのぶもじずりがある、白河の関がある、北海の波に近く念珠《ねず》ヶ関《せき》もなければならぬ。 それ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
《あ》しからず御諒察下され度候。 松島の月も心にかかり候へども、この辺まで来ては白河の関、安達ヶ原、忍《しの》ぶ文字摺《もじずり》の古音捨て難く候ことと、同行の....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
緒ある小農の一家族。 コペンハアゲンは、スカンジナヴィアの「奥の細道」における白河の関だ。 女の頬の赤さと青年の眼の碧さと。 海峡の嵐 Helsin....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
一 秋風ぞ吹く白河の関の一夜、駒井甚三郎に宛てて手紙を書いた田山白雲は、その翌日、更に北へ向っ....
殺生石」より 著者:楠山正雄
んがありました。日本の国中方々めぐり歩いて、ある時奥州から都へ帰ろうとする途中、白河の関を越えて、下野の那須野の原にかかりました。 那須野の原というのは十|里....
丹下左膳」より 著者:林不忘
命に従っているうちに。 大田原――大田原|飛騨《ひだ》守城下。一万一千四百石。白河の関――阿部|播磨《はりま》守城下。十万石。 二本松――丹羽左京太夫殿。十....
安達が原」より 著者:楠山正雄
一 むかし、京都から諸国修行に出た坊さんが、白河の関を越えて奥州に入りました。磐城国の福島に近い安達が原という原にかかります....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
単衣と白地の単衣との重ね着であった事をどういうものだか今だに記憶して居る。汽車が白河の関を過ぎた頃から天地が何となく蕭条として、我らは左遷されるのだというような....
平家蟹」より 著者:岡本綺堂
われと共に本国にくだり、安らけく世を送られい。那須は草ふかき村里なれど、歌によむ白河の関にも遠からず、那須野が原には殺生石の旧蹟もござる。二荒の宮には春の桜、塩....