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「百済〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

百済の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
そくお聞き届けになりまして、新羅の王をおうま飼ということにおきめになり、その隣の百済をもご領地にお定めになりました。そしてそのお印に、お杖を、新羅の王宮の門のと....
青い眼の人形」より 著者:野口雨情
つても 姨は帰つて来なかつた 阿弥陀池 大阪堀江の お寺の池は どぶどぶ泥池だ百済《くだら》から来た お阿弥陀《あみだ》さまは どぶんと捨てられた 今は 信濃....
十二支考」より 著者:南方熊楠
、決して形式的でなかった。 概説 鶏、和名カケ、またクダカケ、これは百済鶏《くだらかけ》の略でもと百済より渡った故の名か。かかる類《たぐ》い高麗錦《....
大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
らしばらく話しあい、それから一しょに宝蔵を見にゆくことにした。 僕の一番好きな百済観音《くだらかんのん》は、中央の、小ぢんまりとした明かるい一室に、ただ一体だ....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
むと、白妙の袖折りかへし」(巻十七・三九七三)がある。 ○百済野の萩の古枝に春待つと居りし鶯鳴きにけむかも 〔巻八・一四三一〕 山部赤人 ....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
満洲を南下して朝鮮の北半に至り、最後には平壌に都した。当時朝鮮には高句麗のほかに百済と新羅があった。百済は高句麗同様、扶余族と称せられている。日本の仏教は欽明天....
文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
続日本紀』であろうと思いますが、それによりますと、聖武天皇の天平二十一年の二月、百済の王敬福という者が、今の、宮城県遠田郡涌谷村字黄金迫の黄金神社附近から、黄金....
美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
如来像のような聖徳太子御在世中の造像にかかるものや、同金銅|釈迦三尊像や、所謂|百済観音像や、夢殿の救世観世音菩薩像、中宮寺の如意輪観音と称する半跏像の如き一聯....
日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
貢物とすべく約した。 戦果は是ばかりでなく、当時朝鮮半島は、新羅、任那、高麗、百済の四つの邦に分かれていたのであったが、その中の最強を以て目せられていた新羅が....
「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
類のものも、またすこぶる多かったに相違ない。 斎部広成の古語拾遺に、「秦・漢・百済内附の民、各々万を以て計ふ。褒賞すべきに足れり。皆其の祠あれども、未だ幣の例....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
を以て大和朝廷に当つることは、つとに朝鮮において用い始めたところであったらしく、百済人・任那人等は、古く支那人の用例のままに、我が大和朝廷の御事を「大倭」と書く....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
石の彫刻物が甚だ多く遺っている。昔敏達天皇の御代に当って、真野の長者という金持が百済の僧蓮城を、隋の南岳恵思禅師の許から招聘して、ここに建立したのだと云われてい....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
は、新羅の王子|天日槍の後だとあります。また桓武天皇の御生母なる高野皇太夫人は、百済王家から出られたお方であります。その他にも百済王家から出て、天皇の妃になった....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
人であるというの故を以て、これを差別したという事実はない。既に桓武天皇の御生母は百済氏の出であり、神功皇后の御母方も新羅の天日槍の後裔だと言われている通りで、そ....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
法師の語のみえるのは、『日本紀』武烈天皇七年条の法師君をもって始めとする。これは百済斯我君の子で、子孫がわが国に留まって倭君となったとある。これを法師君といった....