皇朝[語句情報] »
皇朝
「皇朝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
皇朝の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
すいところで、篤胤大人の上に及んだ幕府の迫害もはなはだしかった。『大扶桑国考』『
皇朝無窮暦』などの書かれるころになると、絶板を命ぜられるはおろか、著述することま....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
に限り読む事を好まなかった。それよりは同じ位のもので、青山|延于《のぶゆき》の『
皇朝史略』の方を好んだ。そこで日本の南北朝時代を、通鑑綱目のような体裁で書いた物....
「世界の裏」より 著者:国枝史郎
この河へ死骸を投げこまれた妖僧ラスプーチンのことを思い出す。 それは、ロマノフ
皇朝の末期、一九一六年十二月十六日、金曜日の夜のことであった。この妖僧へ着せよう....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
早くすでにその事実を忘却したり。当時の著作なる『古事記』『日本紀』等には、景行天
皇朝に日本武尊の経略し給える蝦夷の日高見国をも、当時の蝦夷蟠居の域なる北上川下流....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
らざるをえぬ。古く泊橿部または羽束部と書く部民の存在した事は疑いを容れぬ。天武天
皇朝に※部と書いてハセツカベと訓ませていた事の明証あるにおいてをやである。 按....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
証が試みられたのであったが、中にも最も有力なるものは、寺院側においてかつて天智天
皇朝の火災の変事を伝えず、かえって延長年間焼失の講堂を以て、聖徳太子建立の儘のも....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
事を後世誰が蝦夷だと思うものがありましょう。系図の上から申しても、安倍氏は崇神天
皇朝四道将軍の一人なる大彦命の後裔、清原氏は天武天皇の皇子舎人親王の後裔、藤原氏....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
調べるというような面倒な事をやる学者が少ないからでありましょう。
慧海師元旦に
皇朝の万歳を祈る
その本屋なるものも自分の家で店を出して居るというものはない....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
羽方面の王化はまず海岸から入り込んだので、秋田・渟代(能代)の辺はすでに、斉明天
皇朝に阿倍比羅夫の遠征によって郡が置かれ、当時津軽の辺にまで、内地化したる熟蝦夷....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
食を以て穢れとするという思想は、実際日本には古くはなかったことであります。天武天
皇朝におきまして、牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食うことを禁ずという詔がありましたが、....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
。次に崇峻天皇三年司馬|達等の子多須那が出家して、徳斉法師といったとある。推古天
皇朝の留学僧|新漢人日文を後に旻法師ともいっている。大化元年紀には、沙門狛大法師....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
いつしかまた弛んでしまったものとみえる。古いところでは「中右記」永久二年(鳥羽天
皇朝)四月六日条に、 制歟。 とある。かくてその八日に至り、いよいよその旨を奏上....