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相即
「相即〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
相即の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」より 著者:宮本百合子
小説を書いていた。パリへ行ってきたことまでもある彼女は、「仏教と文芸はむしろ一如
相即のものである」ことを主張し、たとえば「愚人食塩喩。塩で味をつけたうまい料理を....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
何れも無の自己限定として、媒介は媒介を限定し個は個を限定しながら、両者が無に於て
相即するのである。だがもしそういうことに過ぎぬならば、どこに一体両者の間の否定的....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
に、シェストーフ的なものの穴埋め材料としての特色があったのだ。 哲学と文学とを
相即することは、統一的な着眼としては大事な事だが、その
相即のさせ方によっては哲学....
「再び科学的精神について」より 著者:戸坂潤
学特に東洋教学の嶄然たる固有特色なのである。 だが之を以て学と実践との統一とか
相即とかと思ってはならぬ。実は単に教えの伝承と伝習とが学びであるというにすぎない....
「物理的空間の成立まで」より 著者:戸坂潤
athematik und Physik 参照)。のみならず或る意味に於て両者の
相即を主張し又或る意味に於て両者の完全な没交渉を帰結するヘルムホルツの幾何学及び....
「範疇としての空間に就いて」より 著者:戸坂潤
於ての形式に対する内容なのである。又それを 〔Qualita:t〕 という言葉と
相即したのは、今の問題――空間の問題――にあっては、或る他の一般的な事情からそう....
「性格としての空間」より 著者:戸坂潤
相なる本質を発見するに努める仕方であって、この仕方に従えば恰も空間がそのような形
相即ち本質として見出されると云うのである。かく云えば恐らく多くの人々は次のように....
「カントと現代の科学」より 著者:戸坂潤
は明らかである(カントが数学は経験を支配するという時、カントは実は経験と知覚とを
相即しているのであるがこの
相即は少くとも疑問でなければならぬ)。 カントが「外....
「百喩経」より 著者:岡本かの子
ならぬということを、否たとえこの私の作は拙悪であるとしても仏教と文芸はむしろ一如
相即のものであるという事を会得して頂くならば私の至幸とするところである。 尚、....
「親鸞」より 著者:三木清
断の念仏を現実に行じて来ていることが知られる。したがって私の内に真実の一念多念の
相即する念仏の大行が行じ得られるのも、実に私がこの歴史的伝承に生きることによる。....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
を超上してすなわち aufheben して、真実一元観に達する次第で、これを円融
相即の見解というべきである。 科学的進化論のごときは、われわれもこれを真理と見....
「民芸とは何か」より 著者:柳宗悦
ではないと。(二)もし美が用に交らずば真の用にはならないと。工藝においては用美|
相即なのです。用を離れて美はないのです。これは工藝における根本的約束なのです。こ....