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相模灘
「相模灘〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
相模灘の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恋を恋する人」より 著者:国木田独歩
わかもの》二人は日光の直射を松の大木の蔭によけて、山芝の上に寝転んで、一人は遠く
相模灘を眺め、一人は読書している。場所は伊豆と相模の国境にある某《なにがし》温泉....
「船医の立場」より 著者:菊池寛
の段々畑に、菜の花が黄色く、夏の近づいたのを示して、日に日に潮が青味を帯びてくる
相模灘が縹渺《ひょうびょう》と霞んで、白雲に紛《まぎ》れぬ濃い煙を吐く大島が、水....
「新生」より 著者:島崎藤村
。二十年前、岸本は一度|国府津《こうず》附近の海岸へ行って立ったことがある。暗い
相模灘《さがみなだ》の波は彼の足に触れるほど近く押寄せて来たことがある。彼もまだ....
「白妖」より 著者:大阪圭吉
ぶ山脈線は、伊豆半島のつけ根を中心に南北に縦走する富士火山脈の主流であって、東に
相模灘、西に駿河湾を俯瞰しつつ一面の芝草山が馬の背のような際立った分水嶺を形作っ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
人は粗末な板画などで見るような、そんな遠いところにいる人たちばかりではなかった。
相模灘をへだてた下田の港の方には、最初のアメリカ領事ハリス、その書記ヒュウスケン....
「家」より 著者:島崎藤村
てから、彼女は余計に心細く思って来た。夫は最早傍に居なかった。 伊豆行の汽船は
相模灘を越して、明るい海岸へ着いた。旅客は争って艀に移った。お種も、湯の香のする....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
れ方より大降りになって、風さえ強く吹きいで、戸障子の鳴る響すさまじく、怒りたける
相模灘の濤声、万馬の跳るがごとく、海村戸を鎖して燈火一つ漏る家もあらず。 片岡....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、常に山を背負って歩いて、足を田の中へ踏み込んで沼をこしらえたり、富士山を崩して
相模灘《さがみなだ》を埋めようとしたり、そんなことばかりしているのであります。 ....
「魔都」より 著者:久生十蘭
来ない。壁上の時計を見上ぐれば正に三時十分、仏国大使の乗った汽車は、今ごろはもう
相模灘を横眼に見て、小田原在をつッ走っているころ、とても着換えどころの騒ぎではな....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
ら》の鰹船が焼津《やいづ》の沖で初鰹を釣り、船梁《ふなばり》もたわむほどになって
相模灘《さがみなだ》を突っ走る。八挺櫓《はっちょうろ》で飛ばしてくる江戸の鰹買船....
「悪因縁の怨」より 著者:江見水蔭
、名代の海賊で御座いました」 「えッ、海賊?」 「竜神松五郎と云って、遠州灘から
相模灘、江戸の海へも乗り廻して、大きな仕事をしていましたよ」 「おう、竜神松五郎....
「海豚と河豚」より 著者:佐藤垢石
山などで漁れる河豚は、どこへ出しても、関西ものに勝るとも劣っていない。 また、
相模灘へ出れば網代沖から伊東方面。下田から伊豆半島の南端長津呂の牛ヶ瀬、神子元島....
「濁酒を恋う」より 著者:佐藤垢石
て宜敷聯句馬生に対酌――などとある。これは昔、酒樽を灘から船で積み出し、遠州灘や
相模灘で富士の姿をながめながら江戸へ着き、その積んで行った樽のうち二、三本をさら....