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看る
「看る〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
看るの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「人体解剖を看るの記」より 著者:海野十三
僕は最近、はからずも屍体解剖を
看るの機会を持った。僕の友人に、慶応の生理学の先生である林髞博士というのがあるが....
「富士」より 著者:岡本かの子
て味覚に達すべき。かかるとき愕きもない平凡もない。強いていおうならば北斗南面して
看るという唐ようの古語にでも表現を譲《ゆず》るより仕方はあるまい。 さて、山の....
「黄八丈の小袖」より 著者:岡本綺堂
したことも無い。暴い声で叱ったこともない。しかしそれを若いお内儀さんのお婿として
看る時にはお菊の眼も又違って、平生から若いお内儀さんの不運をお気の毒だと思わない....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
いよいよ不思議に感じた。彼はそれとなく黄家の人びとに注意した。 「わたしは人相を
看ることを学んだが、この子は行くゆく兵器で死ぬ相がある。刀剣は勿論、すべての刃物....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
東に大倭国あり、これを君子国と謂ふ。人民豊楽、礼義|敦く行はると。今使人の容儀を
看るに、はなはだ浄し。豈に信ならざらんや」とある。すなわち真人は自ら「日本国」の....
「世界の「料理王逝く」ということから」より 著者:北大路魯山人
を悼んだのも、また、先に政府が勲章をもって功績に報いたのも、調理を芸術の一分野と
看る、いかにも美食国らしい振舞いではないか」 右は「料理王逝く」として去る四月....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
りとし、漫罵冷嘲、縦横翻弄して滔々たる高襟者流をして顔色無からしむ。真に痛絶稀に
看る快心の著。 一手発売所 東京神田錦町二丁目六 新声社 何も自分が....
「運命」より 著者:幸田露伴
だ退かざるあるのみ、燕王の衆意を容れずして、敢然として奮戦せんと欲するもの、機を
看る明確、事を断ずる勇決、実に是れ豪傑の気象、鉄石の心膓を見わせるものならずして....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
る。親子の情、是の如く、真実心を以て相願いまする。」 と、顔を擡げてじっと主人を
看る眼に、涙のさしぐみて、はふり墜ちんとする時、また頭を下げた。中々食えぬ老人に....
「連環記」より 著者:幸田露伴
ら慈悲心牛馬にまで及んだ人である。それが出家入道して、所証日に深く、浄土は隣家を
看るよりも近々と合点せられるに至ったのである。終には此世彼世を一跨ぎの境界に至っ....
「蘆声」より 著者:幸田露伴
水ただ緩やかに流れ、雲ただ静かに屯しているのみで、黄茅白蘆の洲渚、時に水禽の影を
看るに過ぎぬというようなことであった。釣も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
仏教の影響のあったことも確かであろうが、家持の内的「生」が既にそうなっていたとも
看ることが出来る。「うらがなし」を第三句に置き休止せしめたのも不思議にいい。 「....
「肝臓先生」より 著者:坂口安吾
ねばならず、箸を投げすてて疾走して行かねばならぬ。病める者の身を思え。病める者を
看る者の心を思え。足の医者として誠実に生きたいというのが先生の念願であり、この町....
「支那の狸汁」より 著者:佐藤垢石
と思ったけれど、どうも態度が腑に落ちぬ。昔から、百年の精は猛犬をもってその正体を
看るべし、千年の精は千年の神木を焼いて、その火をもって照すべし、と言い伝えられて....
「平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
ら手網で容易に捕獲するのである、自分がこの瀑布を観た折は午前九時であって、鱒魚は
看ることが出来なかったが、瀑布だけでもかなりの壮観であった、鱒魚を捕える漁夫小舎....