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石城
「石城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
石城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ぬしきたりになっているため、ややこしさ、ぎょうぎょうしさ、もしも気短者の伝六が万
石城持ちの相模守にでもなっていようものなら、さぞかし、べらぼうめ、じれってえや、....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
一度とくと見直さッしゃいッ。禁中よりのお使い並びに江戸公儀よりの御使者以外は、万
石城持の諸侯であろうと通行厳禁じゃッ。江戸侍とやらは文字読む術《すべ》御存じござ....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
と大物ゆえ、残った早足東五郎と早耳七五郎の両名揃うて参るがよい。探り先は二万四千
石城持ち、赤坂溜池際に屋敷を頂戴致しおる遠藤主計頭じゃが、大工と鳶なら近よる手段....
「死者の書」より 著者:折口信夫
かさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなって居た。 奈良の都には、まだ時おり、
石城と謂われた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符で、其を....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
時代になると、感情も一般化して分かりよくなっている。寧ろ、「事しあらば小泊瀬山の
石城にも籠らば共にな思ひ吾が背」(巻十六・三八〇六)の方が、古い味いがあるように....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
明治四十二年十二月三十日、世間では年末だ師走だと餅搗きやら懸取りやらに忙しく騒いでいる中を東京帝国大学の嘱によって
石城山神籠石探検の為に登山した。同行者は日本歴史地理学会出張員藤井、宮崎の両文学....
「古事記」より 著者:太安万侶
祁《つげ》の直《あたえ》・伊余《いよ》の國の造・科野《しなの》の國の造・道の奧の
石城《いわき》の國の造・常道《ひたち》の仲の國の造・長狹《ながさ》の國の造・伊勢....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
や安達郡の上および下の川崎村や耶麻郡|熱塩村の日中。磐城の国では相馬郡の信田沢、
石城郡の深山田の如き名を挙げねばならぬでありましょう。昔から「磐城紙」の名で知ら....
「山の人生」より 著者:柳田国男
旧事を談ずるに、あたかも自身その場にいて見た者のごとくであった。無々という老翁の
石城郡に住する者、かつて残夢を訪ねてきて、二人で頻りに曾我の夜討の事を話していた....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
この種の特徴が長大にして幹を存する点にあるからであろう。これと近いものに福島県|
石城郡のタケスカナ、福井県大野郡また山口県|阿武郡のタケスイバなどがある。いずれ....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
市のエルギまたはエルゲ、その隣の山本郡のエヌギ、鹿角郡のユルギがあり、福島県では
石城郡のイルギ、最上や会津や相州浦賀等のユルギのほかに、飛んで隠岐五箇浦のエリリ....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
しいま、一人の大将を下し給うて、中国征討の大事を実行あそばさるるなら、東播磨の明
石城、高砂城の梶原ごときは、毛利|麾下といわれていても、眼前のご威風に慴伏してし....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
正月様だという人もあり、道祖神と思っているものもあって、結局はっきりとしないが、
石城郡の海岸一帯などには、七小屋参りと称して七つの小屋を巡拝し、またはその小屋を....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
ありました。それ故にこの村には、どうも片目の人が多いようだということであります。
石城の大森という村では、庭渡神社の御本尊は、もとは地蔵様で、非常に美しい姿の地蔵....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
て、固い家では三把の苗を、その田神棒の根もとから採ることにしている。関東の苗尺、
石城地方の苗見竹、それより東北一帯にかけての家々の苗じるしは、何れも籾播き以前か....