碧梧[語句情報] »
碧梧
「碧梧〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
碧梧の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
外ひろい空地になっていて、井戸のそばには夏の日よけに植えたらしく、葉のない一本の
碧梧《あおぎり》が大きい枝をひろげていた。その梧の木を背中にして、お留がなにか小....
「俳諧瑣談」より 著者:寺田寅彦
出すのである。前句は何であったか忘れてしまった。 「赤い椿白い椿と落ちにけり」(
碧梧桐)でも父の説に従えばなるほど「言うただけ」である。しかしこの句が若かった当....
「仮装人物」より 著者:徳田秋声
、その迹へ花畑や野菜畑を作ったり、泉水に水蓮や錦魚を入れて、藤棚を架けたりした。
碧梧の陰に、末の娘のために組み立てのぶらんこをも置いた。しかしそうして、女中に手....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
文展で評判の好かった不折の「陶器つくり」の油絵、三千里の行脚して此処にも滞留した
碧梧桐「花林檎」の額、子規、碧、虚の短冊、与謝野夫妻、竹柏園社中の短冊など見た。....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
、法律や政治や経済やまた文学などと各方面の生徒も居たのだが、正岡子規氏とか、河東
碧梧桐《かわひがしへきごとう》氏の実兄竹村黄塔氏とかは文学専門であって、なお漢学....
「明治三十二年頃」より 著者:寺田寅彦
木立の逆様に映った水面の絵を出したらそれは入選したが「あれはあまり凝り過ぎてると
碧梧桐が云ったよ」という注意を受けた。 やはりその頃であったと思うが、子規が熟....
「酒徒漂泊」より 著者:佐藤垢石
眠くなるまでゆっくり話そう』 情けない言葉だ。 そこでまた、校長先生の口から
碧梧桐の新傾向論がはじまった。それに続いて、元禄のころこの碓氷峠の裾に、芭蕉の弟....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
う。詩箋に句を書いたのが席上に散らかっていたようにも思う。 三津の生簀で居士と
碧梧桐君と三人で飯を食うた。その時居士は鉢の水に浮かせてあった興居島の桃のむいた....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
用人として住まっていた。大正三年の五月に私は宝生新氏(漱石氏の謡の師匠)や、河東
碧梧桐君や、次兄|池内信嘉やなどと共に松山に帰省したことがあった。それは池内の企....
「句合の月」より 著者:正岡子規
月を眺《なが》めて居たというような、凄《すご》い趣向を考えたかもしれぬが、判者が
碧梧桐《へきごとう》というのだから先ず空想を斥《しりぞ》けて、なるべく写実にやろ....
「九月十四日の朝」より 著者:正岡子規
た》訪い来るなどで、病室には一種不穏の徴を示して居る。昨夜も大勢来て居った友人(
碧梧桐《へきごとう》、鼠骨《そこつ》、左千夫《さちお》、秀真《ほつま》、節《たか....
「くだもの」より 著者:正岡子規
の末から余は神戸病院に入院して居った。この時|虚子《きょし》が来てくれてその後|
碧梧桐《へきごとう》も来てくれて看護の手は充分に届いたのであるが、余は非常な衰弱....
「病牀苦語」より 著者:正岡子規
ガラス窓の光りをましたくなって来た。ところがカナリヤの夫婦は幸いに引取手があって
碧梧桐のうちの床の間に置かれて稗《ひえ》よハコベよと内の人に大事がられて居る。残....
「狐」より 著者:永井荷風
様子が別世界のように変って居るのをば、不思議な程に心付《こころつ》いた。梅の樹、
碧梧《あおぎり》の梢《こずえ》が枝ばかりになり、芙蓉《ふよう》や萩《はぎ》や※頭....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
の頂上。「七月十九日午前十時、此頂上を通過す」と、針木方面から縦走して来た河東(
碧梧桐)長谷川(如是閖)一戸(直蔵)三氏の署名した標木があった。頂上の北寄りには....