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碩儒
「碩儒〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
碩儒の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「斗南先生」より 著者:中島敦
稿が纏《まと》められて、この春、文求堂から上梓《じょうし》されたのである。清末の
碩儒《せきじゅ》で、今は満洲国にいる羅振玉《らしんぎょく》氏がその序文を書いてい....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
に抛《なげう》って、「死せば即ち死せんのみ、詔や草すべからず」と絶叫したる明朝の
碩儒|方孝孺《ほうこうじゅ》がある。いささかもって吾人の意を強くするに足るのであ....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
の一と箱を此方へよこせと※くものもあった。古今の英雄の詩、美人の歌、聖賢の経典、
碩儒の大著、人間の貴い脳漿を迸ばらした十万巻の書冊が一片業火に亡びて焦土となった....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
まらぬものばかりだった。われも人も肩を軋《きし》って後れじと専念する際にはいかな
碩儒《せきじゅ》も自分特有の勘弁も何も出ないのだ。されば人間も羊同然箇人としてよ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
意地より生国フランスからドイツへ脱走し、プロシャで重用され教育上の功大いに、また
碩儒ライブニツと協力してベルリン学士会院を創立した偉人で、その玄孫ヨハン・アンシ....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
!……天晴れ、と一つ煽いでやろうと、扇子を片手に、当時文界の老将軍――佐久良藩の
碩儒で、むかし江戸のお留守居と聞けば、武辺、文道、両達の依田学海翁が、一夏土用の....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
精《たんせい》して同所の中学校に入れ、やがて業を卒《お》えて後《のち》、その地の
碩儒《せきじゅ》に就きて漢学を修め、また岸田俊子《きしだとしこ》女史の名を聞きて....