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神功皇后
「神功皇后〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
神功皇后の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
しめ、更に松浦|鎮信をして壱岐|風本(今勝本)に築かしめた。 松浦郡は嘗つての
神功皇后征韓の遺跡であり、湾内も水深く艦隊を碇泊せしめるに便利であったのである。....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
たものらしい。「会ひし時」は「相戦った時」、「相争った時」という意味である。書紀
神功皇后巻に、「いざ会はなわれは」とあるは相闘う意。毛詩に、「肆伐会朝清明」とあ....
「水の女」より 著者:折口信夫
かった。二三をとり出すと、おしほみゝの尊は、雄略天皇の皇后として現れた方である。
神功皇后のみ名おきなが・たらし媛の「たらし」も、記に、帯の字を宛てているのが、当....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
る。が、こうした女君制度は、九州の辺土には限らなかった。卑弥呼と混同せられていた
神功皇后も、最高巫女としての教権をもって、民を統べていられた様子は、日本紀を見れ....
「赤い玉」より 著者:楠山正雄
うとうそこに居ついてしまいました。 この天日矛の八|代めの孫に当たる人が、後に
神功皇后のお母君になった方です。それから垂仁天皇のおいいつけで、はるかな海を渡っ....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
も当るのではないでしょうか。天照大神に当る方もこの一族でしょうが、その女の首長は
神功皇后にも当り、推古女帝と持統女帝とを合せて過去の人物の行動に分ち与えた分身的....
「安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
法の秘法として信じられ、実用されていた時代も確かにあったに相違ない。 たとえば
神功皇后や竹内宿禰なぞの時代、犯人を探すにクガタチと称し熱湯に手を入れさせ、犯人....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
存在だもの。湖面にはなんの手がかりがあるものですか。 だが、記紀から判断すると
神功皇后は神がかりして予言などを行うミコや教祖の実力を具えていたようだ。すると建....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
合せに同じ一体の人間が一体になっております。前後両面全く同じです。そしてその頭は
神功皇后のカミのような男装の女だか、女装の男だか分らんようなふくよかな美貌でした....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
であると観破され、「熊襲をお討ちあそばすより先に新羅を御征伐なさいますように」と
神功皇后様が仲哀天皇様に御進言あそばされたのは非常な御見識と申上げなければならな....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
淡島堂というは一体何を祀ったもの乎祭神は不明である。彦少名命を祀るともいうし、
神功皇后と応神天皇とを合祀するともいうし、あるいは女体であるともいうが、左に右く....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
倭王に封ぜられ、金印紫綬を賜わった。この邪馬台国は、今の筑後の山門郡地方に当る。
神功皇后西征の時、山門県の土蜘蛛田油津媛を誅すとあるものは、けだしこの邪馬台国の....
「古事記」より 著者:太安万侶
の中においでになつて天下をお治めなさいました。この御世に淡路の役所を定めました。
神功皇后 ――御母はシラギ人天の日矛の系統で、シラギのことを知つておられたの....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
い間同一政府の下にもおりまして、両者の交通混淆も多い。皇室の御上について申さば、
神功皇后の御母方は、新羅の王子|天日槍の後だとあります。また桓武天皇の御生母なる....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
て、これを異民族なりとし、朝鮮人の子孫だなどと説くものが古来多い。古いところでは
神功皇后三韓征伐の際の捕虜の後だとか、近いところでは秀吉の朝鮮征伐の際の捕虜の後....