神宮寺[語句情報] » 神宮寺

「神宮寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

神宮寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
今日ほど宗教の濁ってしまった時代もめずらしい。」とまた半蔵の声で、「まあ、諸国の神宮寺なぞをのぞいてごらんなさい。本地垂跡なぞということが唱えられてから、この国....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
いでしょうかな」 「さあそれは考えものだ」 「いや全く考えものだ」 「噂によると神宮寺の巫女が大変怒っているそうですよ」 「あいつらが怒るとちょっと恐い」 「名....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
悲しいで気がとりつめ」とか、「この魂が跡を追いかけて引き戻してくる」とか、「東は神宮寺、西は阿礼《あれ》の社《やしろ》より向うへは通さぬ」とか、髪をふり乱し、五....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
は人から伝え聞いた話で、どれほど確実であるかはわからないが、もとこの像は三輪山の神宮寺の本尊であって、明治維新の神仏分離の際に、古神道の権威におされて、路傍に放....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
は好んで帆立貝を用います。 羽後の国にはたった一ヵ所だけ焼物の窯場があります。神宮寺という駅から少し南に行ったところに楢岡と呼ぶ村があります。ここにわずか一基....
私本太平記」より 著者:吉川英治
になってこれへ来たものだった。 ほどなく、他の一族たちも遠地の――和田、橋本、神宮寺――などを除くほか続々この夜の“御本屋会議”に参集してきた。 間ごとのふ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、じっさいには、菊水の旗が見えた所に敵はいなかったのである。正成の弟正季、一族の神宮寺正師、佐備正安らの河内きッての精鋭は、 「今ぞ」 という正季の一令をべつ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ちた火箭をすぐたたき消している。正成は歩いて、ひがし足場の松尾|季綱と、西足場の神宮寺正師、そのほかの塁へむかって、初めてこう号令した。 「火雨をあびせろ!」 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
のせきこむ語気をさえぎった。 「そのことは今も、これへ集まった和田、松尾、南江、神宮寺、佐備、橋本らの部将が、口をそろえてわしにすすめていたところだ。……だが、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
」 その三名が立つと、正成はすぐ、弟の正季、義兄の季綱、ほか安間、和田、橋本、神宮寺などの一族中のおもな者七、八名を赤坂城へよびにやった。――いや正季、季綱な....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て朝空にひるがえしたのを見れば、北畠|顕能、千種|顕経、楠木|正儀、和田、越智、神宮寺など、いずれも南軍の精鋭であらぬはない。 「すわ……」 と幕府方では、目....
山の人生」より 著者:柳田国男
えてくれた話には、秋田市楢山に住む丹生某氏、狩が好きで方々をあるき、或る年仙北郡神宮寺山の麓の村で、人の家に一泊したところ、一つの紙袋に少しの砂を入れたのが、神....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
洗い落そうとすると罰が当るなどというのも、材料はちがうが同じ信仰であった。羽後の神宮寺の道祖神を始とし、祭の日に神体に米の粉をふりかけるというなども、乾いた粉の....