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神田明神
「神田明神〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
神田明神の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
せられている年中行事のうちの一つで、すなわち深川|八幡《はちまん》の八月十五日、
神田明神の九月十五日、それから六月十五日のこの山王祭りを合わせて、今もなお三社祭....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
おくと、駕籠《かご》を命じてお由をも従えながら飛ぶように駆けつけさせたところは、
神田明神の境内でありました。そこで同じように売卜者《ばいぼくしゃ》を見つけて、ま....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ください。そこに変なことが出来《しゅったい》したんで、一時は大騒ぎをしましたよ」
神田明神の祭りもすんで、もう朝晩は袷《あわせ》でも薄ら寒い日がつづいた。うす暗い....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、女子供は争って見物に行きました。 日は忘れましたが、なんでも二月の初めです。
神田明神下の菊園という葉茶屋の家族が湯島へ参詣に出かけました。この葉茶屋は諸大名....
「河明り」より 著者:岡本かの子
た、その境界も知れるわけであった。この亀島町辺も三百年位前は海の浅瀬だったのを、
神田明神のある神田山の台を崩して、その土で埋めて慥えたものである。それより七八十....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
一 その第十一話です。少し長物語です。
神田明神の裏手、江戸ッ児が自慢のご明神様だが、あの裏手は、地つづきと言っていい湯....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
繕の加えられた壁なぞは行く先に見られる。三人は右を見、左を見して、本郷森川宿から
神田明神の横手に添い、筋違見附へと取って、復興最中の町にはいった。 「これが江戸....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
」 木曾街道の終点とも言うべき板橋から、半蔵が巣鴨、本郷通りへと取って、やがて
神田明神の横手にさしかかった時、まず彼の聞きつけたのもその子供らの声であった。町....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
来屠蘇雑煮餅を祝うて、更に恵方詣をなす、亀戸天神、深川八幡、日枝神社、湯島天神、
神田明神などはその主なるものである。 かくして更に向島の七福神巡りをするものも....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
形に擬えた小富士や、富士権現を勧請した小社に、市民が陸続参詣した。駒込の富士から
神田明神、深川八幡の境内、鉄砲洲の稲荷、目黒|行人坂などが、その主なる場所であっ....
「売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
に、背を向けて立直ると、雲低く、下谷、神田の屋根一面、雨も霞も漲って濁った裡に、
神田明神の森が見える。 と、緋縮緬の女が、同じ方を凝と視ていた。 ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
布令を出し、神の地内にある仏は一切取り除けることになりました。 そして、従来|
神田明神とか、根津権現とかいったものは、神田神社、根津神社というようになり、三社....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
は、その宿所へ訪ねて見ると、それはなかなか立派な構え、御成道の大時計を右に曲って
神田明神下の方へ曲る角の、昌平橋へ出ようという左側に、その頃横浜貿易商で有名な三....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
れの方へ属したやり方でありました。 歳の市は浅草観音の市が昔から第一、その次は
神田明神の市、愛宕の市、それから薬研堀の不動の市、仲橋広小路の市と、この五ヶ所が....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
高くなったのは。(『書生気質』は初め清朝四号|刷の半紙十二、三枚ほどの小冊として
神田明神下の晩青堂という書肆から隔週一冊ずつ続刊されたので、第一冊の発行は明治十....