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禅門
「禅門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
禅門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「門」より 著者:夏目漱石
と》なるかを知らなかった。宜道からこの夢窓国師と大燈国師《だいとうこくし》とは、
禅門中興の祖であると云う事を教わったのである。平生|跛《ちんば》で充分に足を組む....
「自分だけの世界」より 著者:辻潤
することは不可能である。 この自覚の境地は又なんとなく「本来の面目」を云々する
禅門の悟道の境地と似通っている。僕には仏教の知識が殆ど皆無といってもいいが、それ....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
。また白馬は白く、あるいは堅きがゆえにその実在いかんを疑った実在論者(二一)や、
禅門のごとく清浄、絶対について談論した六朝の清談家も無視することはできぬ。なかん....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
和尚はあとの住持のために万福寺年中行事なるものの草稿を作り、弟子の心得となるべき
禅門の教訓をもいろいろと認めて、仏世の値いがたく、正法の聞きがたく、善心の起こし....
「春昼」より 著者:泉鏡花
の玉将を引掴むと、大きな口をへの字形に結んで見ていた赭ら顔で、脊高の、胸の大きい
禅門が、鉄梃のような親指で、いきなり勝った方の鼻っ頭をぐいと掴んで、豪いぞ、と引....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
いる。祇園の歌蝶は憲政芸妓として知られ、選挙違反ですこしの間|罪《つみ》せられ、
禅門に参堂し、富菊は本願寺|句仏上人《くぶつしょうにん》を得度《とくど》して美女....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
ろには五山の碩学が厳として控えて居り、啓書記、兆殿司、斗南、鉄舟徳済というような
禅門書画家の輩出数うるに遑なきほどの社会的雰囲気の中に育ち、わけて天才世阿弥のよ....
「故郷〔扉の言葉〕」より 著者:種田山頭火
故郷を離れてはならないと思う。 自性を徹見して本地の風光に帰入する、この境地を
禅門では『帰家穏座』と形容する。ここまで到達しなければ、ほんとうの故郷、ほんとう....
「歩々到着」より 著者:種田山頭火
禅門に「歩々到着」という言葉がある。それは一歩一歩がそのまま到着であり、一歩は一....
「水〔扉の言葉〕」より 著者:種田山頭火
禅門――洞家には『永平半杓の水』という遺訓がある。それは道元禅師が、使い残しの半....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
だと考えて益々研究に深入した。一時はその手段の一つとしての禅の研究を思い附き、『
禅門法語集』や『白隠全集』を頻りに精読し、禅宗の雑誌まで購読し、熱心鋭意して禅の....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
ポンとかポンスケ・ポンツクなど云っているそうである。かの四国・九州あたりで勧進・
禅門西国など呼ばれる仲間にも、この徒がけだし少くないらしい。その現に竹細工などを....
「法然行伝」より 著者:中里介山
。生年七十五。最期の時に紫雲が棚引く等の様々の奇瑞が伝えられている。 西明寺の
禅門は武門の賢哲、柳営の指南として重き地位の人であった。若い時分は常に小倉の草庵....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
『比佐古』の両吟、 雲雀啼く里は厩糞かき散らし 珍碩 火を吹いて居る
禅門の祖父 正秀 本堂はまだ荒壁の柱組み 碩 羅綾の....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ては法師姿で描きあらわされておったり、今においてなお地方によってはこれらの仲間を
禅門だの、勧進(勧進聖の義)だの、西国(西国巡礼の義)だの、遍路(四国遍路の義)....