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「福音書〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

福音書の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
聖書の読方」より 著者:内村鑑三
遠の運命に関わる大警告である、天国の光輝と地獄の火とを背景として読むにあらざれば福音書の冒頭に掲げられたるイエスの此最初の説教をすら能く解することが出来ないので....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
る、黒死館についての驚くべき調査資料のことを記さねばならない。それは、中世楽器や福音書写本、それに古代時計に関する彼の偏奇な趣味が端緒となったものであるが、その....
パウロの混乱」より 著者:太宰治
ウロの事を書いていたようであるが、今君の聖書に就いての知識は、ほんものである。四福音書に就いては、不勉強な私でも、いくらかは知っているような気がしているのだけれ....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
ねばならないのである。同じくインチキという一般的な評価に値いするにしても、例えば福音書的キリスト教と「生長の家」的宗教とでは、決して同一なものとして機械的に片づ....
獄中生活」より 著者:堺利彦
ルサス人口論を、論破するごとき、痛快を極め鋭利を極めている。 次に予は新約の四福音書と使徒行伝の初めの方少しばかりとを読んだ。二十世紀訳は文章が今様になってい....
技術的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
いう健康な照明である。光である。光というものは文献によると色々の神秘的な(ヨハネ福音書的な)ものから、神秘論的(ベーメ)な又形而上学的な意義(シェリング)をまで....
カラマゾフの兄弟」より 著者:ドストエフスキーフィヨードル・ミハイロヴィチ
うせん》が一枚だけ敷いてあった。片隅には、聖像の前に経机がすわっていて、十字架と福音書とが載せてある。長老は力なく寝台の上に腰をおろしたが、その眼はぎらぎらと光....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
はすぐに屈するだけの鑑識をそなえたものであると信じていたから、まず最初に、経典や福音書の権威や奇跡や伝統などの力を借りて説いた。しかし、クリストフがしばらくその....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
を取り入れていた。ゾラ、ニーチェ、メーテルリンク、バレス、ジョーレス、マンデス、福音書、赤い風車などが、貯水池に水を給して、歌劇《オペラ》や交響曲《シンフォニー....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
リスト教的観念ときてる……。教理問答だけになってるフランスの宗教教育、去勢された福音書、無味乾操な骨抜きの新約書……いつも眼に涙を浮かべてる人気取りの人道主義…....
生活と一枚の宗教」より 著者:倉田百三
ものはそういうものであったにちがいない。それはちょうどキリストの信仰というものは福音書の中にあるようなものがほんとうの信仰でありまして、それを社会と調和するよう....
フランケンシュタイン」より 著者:シェリーメアリー・ウォルストンクラフト
くしなさいよ。しかし、これは事実なんだ。二、三年前にはコルネリウス・アグリッパを福音書同様に固く信じていた若者が、今ではこの大学の先頭に立っているんだ。この男を....
決闘」より 著者:神西清
。そして例えばその力が、虚弱で瘰癧やみで淫蕩な種族の絶滅を欲するなら、曲解された福音書からでっち上げた君の丸薬や引用句でその邪魔をし給うな。レスコフ〔〕の書いた....
ベートーヴェンの生涯」より 著者:片山敏彦
クであるが)は、彼がドビュッシーの熱愛者であるにもかかわらず近頃こう書いた――「福音書を書くような態度でベートーヴェンについて書く権利を私はロマン・ロランにだけ....
ベートーヴェンの生涯」より 著者:片山敏彦
であると同時にまたきわめて雄々しい道徳的徳性であるから。ベートーヴェンの「音楽の福音書」の中でこのことの自覚に徹した人々は、もはや芸術と生活との中にある虚妄に耐....