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秣
「秣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
秣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
豹子頭林冲《ひょうしとうりんちゅう》が、風雪の夜に山神廟《さんじんびょう》で、草
秣場《まぐさば》の焼けるのを望見する件《くだり》である。彼はその戯曲的な場景に、....
「カインの末裔」より 著者:有島武郎
たが、これは播種時《たねまきどき》から事務所と契約して、事務所から一手に陸軍|糧
秣廠《りょうまつしょう》に納める事になっていた。その方が競争して商人に売るのより....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、やあ、親分と声をかける者がありました。 見ると、それはこの近所に住んでいる馬
秣屋《まぐさや》の亭主です。この時代には普通に飼葉屋《かいばや》とか藁屋《わらや....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
手は長浜の町家に至り米一升、大豆一升宛を出さしめ、米は粥に煮て兵糧となし、大豆は
秣として直ちに木の本の本陣に持ち来るべしとした。用意の周到にして迅速なるは驚くべ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
まかせて置きました。朱の家には猴を飼ってありましたが、厩の者が夜なかに起きて馬に
秣をやりに行くと、そこに異物を見ました。 それは驢馬のような物で、黒い毛が生え....
「イワンの馬鹿」より 著者:菊池寛
るにはどうしてもあの牧場だな。」 そこで小悪魔は牧場へ出かけて行って、イワンの
秣場に水をまき、草を泥だらけにしておきました。 イワンは野原から夜明け方に帰っ....
「博物誌」より 著者:岸田国士
とひとりごとのように優しく話しかける。 首はもう一度あがりかけて、またぐったり
秣桶の縁に倒れかかる。それがあんまりがっくりと行ったので、そのぶっつかった鈍い音....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
を知っている『今は変わって千の馬、五百の馬の馬飼の……それから少し間が切れて――
秣の山や底無しの、川の中地の岩窟の……という文句を知っている。そこへわしの外にも....
「母を尋ねて三千里」より 著者:アミーチスエドモンド・デ
足たちはだんだん意地悪くなって、マルコをおどかしたり無理使したりしました。大きな
秣をはこばせたり、遠い所へ水をくみにやらせたりしました。そして少しでもおそいと大....
「春昼後刻」より 著者:泉鏡花
霞を召した山の女王のましますばかり。見渡す限り海の色。浜に引上げた船や、畚や、馬
秣のように散ばったかじめの如き、いずれも海に対して、我は顔をするのではないから、....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ちゃあならなかったが、家のある方へ参りますと田畑が多くって牧場が少ない、それゆえ
秣草を買わなくちゃあならない。ある宿屋に着いてその宿屋から
秣草すなわち小麦|藁、....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
青刈り用とはフレッシュだ。焼いて嗅ぎましょノスタルジャア。や、や、なるほど、
秣にしますか、勿体ない。あかい垂れ毛も濡れている。 なんと緑の疣々だ。胡瓜の花....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
のは、二人の息子がすでに他界したことである。二男賛次郎は大戦中陸軍大尉の資格で糧
秣廠に通っていたが、疲労のため昭和十九年四月八日病没。長男庸太郎も三十三年三月十....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
に追撃してその前面に進出、数カ月の対峙となった。けれども大王は兵力を分散しかつ糧
秣欠乏し、遂に北方に退却の止むなきに至った。墺軍はこれに追尾し来たり、九月三十日....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
こにあるものは震災のために生じた「ものゝ飛び」に近いものである。僕は昔この辺に糧
秣廠のあったことを思い出し、更にその糧
秣廠に火事のあったことを思い出し、如露亦如....