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称名寺
「称名寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
称名寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「小田原陣」より 著者:菊池寛
って、秀吉に抗していたが、そこも落されて、小田原に籠り、小田原落城後、武州金沢の
称名寺にかくれていたが、秀吉之を呼び出し、「勝家の甥として、我に手向うは殊勝なり....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
武士のみを夷として指斥するにあらず。真の蝦夷を指す場合また少からざるなり。金沢『
称名寺文書』に、 当寺祈祷事、蝦夷已静謐之間、法験之至、殊感悦候、謹言 文保二....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
倉時代末においてなお蝦夷として認められていたことは、『北条九代記』『保暦間記』『
称名寺文書』等によって明かである。思うに藤原氏滅んで後も、いわゆる奥郡の地には鎌....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ろは日女道(姫路市)の姫山の丘かと見られる。 そこには、後嵯峨法皇のご祈願所、
称名寺があった。堂宇十四坊。まず申し分ない宿営の地といっていい。 そこへ着くと....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
北条守時の戦死を知り、谷の隠れ穴から山づたいに六浦の方へさまよい出て、武州金沢の
称名寺へかくれていた。――だが、そこもまた両軍の交戦場となりはじめたので、
称名寺....