称美[語句情報] »
称美
「称美〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
称美の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ひど》く忌むものながら、インド人はほとんど持って生まれたように心底からこれを敬愛
称美するとあった。予かつて南ケンシントン美術館に傭《やと》われいし時、インドの美....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
娘ではないとあきらめて退却する。 海蔵寺の東妙和尚なども、お松の字をことごとく
称美して、 「これは見事なものだ、どうしてわしらは遠く及ばない」 と言いました。....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
フは彼女の贔屓《ひいき》心を得ることができた。彼女はかつて、自分の腕前をそんなに
称美してくれる人に会ったことがなかった。彼女は料理場へもどってもゆかないで、敷居....
「四十八人目」より 著者:森田草平
吉良邸へ入りこんだこともある。そして、当夜の一番槍にも優る功名ぞと、仲間の者から
称美されるほどの手柄も立てた。しいて言えば、今夜の討入も俺の探索のおかげで極った....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
に、そが郷国《きょうこく》フランドルの古画に現はれたる生活慾の横溢《おういつ》を
称美したる一章あり。 Art flamand, tu les connus, ....
「葛飾土産」より 著者:永井荷風
のことで、人はまだ日露戦争を知らなかった時である。 コスモスの花が東京の都人に
称美され初めたのはいつ頃よりの事か、わたくしはその年代を審《つまびらか》にしない....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
しい気がするではないか。 されば私のてくてく歩きは東京という新しい都会の壮観を
称美してその審美的価値を論じようというのでもなく、さればとて熱心に江戸なる旧都の....
「正宗谷崎両氏の批評に答う」より 著者:永井荷風
くしが土耳古《トルコ》の国旗に敬礼をしたり、西郷隆盛《さいごうたかもり》の銅像を
称美しなかった事などに起因したのであろう。しかし静に考察すれば芸術家が土耳古の山....
「法然行伝」より 著者:中里介山
君は既にこの法門に達している。これは自分の秘蔵の書物だが尽く君に奉る」といった。
称美讃歎の程が思いやられる。進士入道阿性房《しんじにゅうどうあしょうぼう》等の人....
「食道楽」より 著者:村井弦斎
文章を読む事が出来ない。殊《こと》に困難を感ずるのは今のいわゆる自称文学者とか自
称美文家とかいう先生たちの文章だ。僕ら如《ごと》き専門の文学者でさえ振仮名《ふり....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
なかった。そこで、 「Mさん、どうです。」 「あてか、さよか、よろしい。」と、自
称美術家のパトロン、M老人、つるりと唾に筆の尖、薄墨で蚯蚓流。 「占め占め。」と....
「家庭料理の話」より 著者:北大路魯山人
ころに、ハンディキャップがついているのだ。重複するようだが、大倉さんはいわゆる自
称美食家であろうから、常々自分の家に各所の料理人を呼んでは料理をつくらせたのであ....