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稜威
「稜威〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
稜威の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「社会時評」より 著者:戸坂潤
」四、「天皇の御ために身命を捧げることは自己犠牲ではなく、小我を捨てて大いなる御
稜威に生き国民としての真生命を発揮する所以である。」五、「我国憲法の根本原則は君....
「南地心中」より 著者:泉鏡花
れ、真正面に、御鳥居を御覧なさい。」 はじめて心付くと、先刻視めた城に対して、
稜威は高し、宮居の屋根。雲に連なる甍の棟は、玉を刻んだ峰である。 向って鳥居か....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
をひっくり返すわけにはいかない。朝廷というものが中央においでになる、その朝廷の御
稜威《みいつ》を借りて事をなさなければ、為すべき名分も、手段も立たぬ。よって薩長....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ら出ている『文芸評論』が参考書としてとり出されています。この装幀をした画家は小堀
稜威雄という人ですが、今ふっと思うのだけれど、この人が杏奴さんの御良人ではないの....
「昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
令官と、小川中佐は、じっと目をつぶって、岩のように動かない。……きっと、陛下の御
稜威《みいつ》に謝しまつり、戦死者の霊をとむらっているのだろう。 夕日の影が、....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
たてしのみにて雨戸ひくということもせず戸の後鎖することもせざる、さすがに御神の御
稜威ありがたしと心に浸みて嬉しくおぼえ、胸の海浪おだやかに夢の湊に入る。 九日....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
津神たる海神の女を妃と遊ばされたと伝えられている。これすなわち、山海共に皇室の御
稜威に服し、ここに既に同化融合の実を挙げ給うた事実を、語り伝えたものではあるまい....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
ら倭人の諸国は、一方には支那と交通してその冊封を受けたが、一方に我が大和朝廷の御
稜威は、次第にこれら倭人の諸国に及び、その帰順したものは我が帝国に併合して、その....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
建国の歴史を有しているのであります。そして上に万世一系の皇室を戴き、歴代天皇の御
稜威はいやが上にも輝いて、以て今日の隆昌なる国運を成すに至ったのでありますが、ま....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
って一首の歌が出来ました。
チベットの高野に光る初日影
あづまの君の御
稜威とぞ思ふ
其村で一月五日まで経を読み、その翌日|出立してオーミという村ま....
「ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
は神々ぞ。
君等|畏き歌を歌へ。
セイレエン等
御身はさゝやかなれど
御
稜威は大いなり。
淪むものを救ひます神等、
昔より斎きまつる神等はこれ。
....
「『火星兵団』の作者の言葉」より 著者:海野十三
科学力の強弱にかけられていると申してもよろしいのです。わが日本は、幸いにして、御
稜威のもとに、建国二千六百余年の光輝ある国史をもち、軍人は忠勇無双、銃後国民も亦....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
兵が三名に床几を与えた。そのまに忠顕は一帖の“簿”を取り上げて、 「すべては大御
稜威だな。それにいまの季節のようなもので、機運も熟して来たといえような。……まず....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
高官、五位、六位の蔵人、諸司の宮人までが、むらがり寄って来たのである。まことに御
稜威というものか。はた、あさましい人心というべきか。とにかく、世態一変の観がある....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
二十何年か前の祖国と日本との戦争なども無論知っていそうにもなければ、ロマノフ家の
稜威を一朝にして衰えさした、かの大敗北の噂話でもあるいは聞いたこともなかったであ....