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「稲田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

稲田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
星座」より 著者:有島武郎
ってみろ』……辞儀を一つする……貰いものの下駄をはく……歩く(ここは長し)……早稲田という所は田圃《たんぼ》の多いところだ。名詮自称《みょうせんじしょう》だ。…....
二、三羽――十二、三羽」より 著者:泉鏡花
おなじ場所では余り沢山には殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚、稲田、粟黍の実る時は、平家の大軍を走らした水鳥ほどの羽音を立てて、畷行き、畔行く....
紅黄録」より 著者:伊藤左千夫
ぼへ出た。 朱に輝く夕雲のすき間から、今入りかけの太陽が、細く強い光を投げて、稲田の原を照り返しうるおいのある空気に一種の色ある明るみが立った。この一種の明る....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
、松沢病院、青山脳病院、名古屋城北病院、県立脳病院など。 学校では慶応大学、早稲田大学、文理科大学、東京農大、一高、成城学園、日大予科、女子学習院を初め中学、....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
くして、社会が文人の権威を認めないからである。坪内君が世間から尊敬せらるゝのは早稲田大学の元老、文学博士であるからで、舞踊劇の作者たり文芸協会の会長たるは何等の....
」より 著者:海野十三
い殿様蛙の鳴き声があがっていた。彼の紳士は、ホッと溜息を漏らすと、帽子を脱いだ。稲田の上を渡ってくる涼しい夜風が紳士の熱した額を快く冷した。 「……思ったとおり....
鷭狩」より 著者:泉鏡花
願いが一つある。」 客は膝をきめて居直ったのである。 四 渠は稲田雪次郎と言う――宿帳の上を更めて名を言った。画家である。いくたびも生死の境に....
星女郎」より 著者:泉鏡花
加賀の松並木の、西東あっちこち、津幡まではほとんど家続きで、蓮根が名産の、蓮田が稲田より風薫る。で、さまで旅らしい趣はないが、この駅を越すと竹の橋――源平盛衰記....
怨霊借用」より 著者:泉鏡花
眺められるようである。 ああ、今朝もそのままな、野道を挟んだ、飾竹に祭提灯の、稲田ずれに、さらさらちらちらと風に揺れる処で、欣七郎が巻煙草を出すと、燐寸を忘れ....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
愚詠をしたが、今白髪となって何の功もないことを恥じている。 (大正十四年三月『早稲田文学』二二九号)....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
字がシドロモドロとなって何としても自ら書く事が出来なくなったという原稿は、現に早稲田大学の図書館に遺存してこの文豪の悲痛な消息を物語っておる。扇谷定正が水軍全滅....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
』とドッチが先きだろうという疑問が若い読書子間にあるらしいが、『神髄』はタシカ早稲田の機関誌の『中央学術雑誌』に初め連載されたのが後に単行本となったので、『書生....
明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
の関門を開いたのであって『桐一葉』の価値を論ずるが如きはそもそも末である。 早稲田における坪内君の功蹟は、左も右くも文壇に早稲田派なるものがあって、相応に文学....
まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
稲田の森の青春 早稲田に入ったのは、大正六年で学校騒動で永井柳太郎、大山郁夫氏....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
の一つとなったものである。 二、早大生のころ 大正五年、府立三中を出た私は『早稲田大学に入って政治家になりたい』と父にいったところ、えらくしかられた。父は『政....