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稽古所
「稽古所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
稽古所の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「行人」より 著者:夏目漱石
た。自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽
稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候間《そろあいだ》同日午後一....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いつは外神田の藤屋という相当の小間物屋のせがれで、名はたしか全次郎といいました。
稽古所ばいりをする、吉原通いをする。型のごとくの道楽者で、お定まりの勘当、多年出....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
あったら、また訊きに来るとして、きょうはこれで帰るとしよう。御用とは云いながら、
稽古所へ来て邪魔をして済まなかった。こりゃあ少しだが、白粉でも買ってくんねえ」 ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
必要がないから省略することにする。岩下左内という奥州浪人は、四、五年前からここに
稽古所を開いて、昼は近所の子供たちに読み書きを教え、夜はまた若い者共をあつめて柔....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
えにも云う通り、小左衛門は手堅い人物であるので、ふだんから自分の手習い子が遊芸の
稽古所などへ通うのをあまり懌ばないふうであった。それが自然とお粂の耳にもひびいて....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
貰われて来た。幾次郎はやはり奉公人として働いていて、彼が堅気の店の者に似合わず、
稽古所ばいりをしたり、折りおりには新宿の遊女屋遊びをしたりするのを主人が大目に見....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
いであった。しかし今日のように追剥ぎや出歯亀の噂などは甚だ稀であった。 遊芸の
稽古所と云うものもいちじるしく減じた。私の子供の頃には、元園町一丁目だけでも長唄....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
祝の短冊、土器、斗掻、餅を合せて二百組ほど諸方に送った。 二日の能が済んだ後、
稽古所で祝宴があった。能の祝宴も皆弟子中の持寄りで、極めて質素な平民的なものであ....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
、悪太郎の時分からの知りあいだ。 仕立やの店は、その実|女房《おかみ》さんのお
稽古所だったのだ。常磐津《ときわず》のおしょさんだった文字春《もじはる》さんの家....
「両面競牡丹」より 著者:酒井嘉七
お会いになるけねんもございますこととて、わざと、ああした旧家町。私たちの様な、お
稽古所へ尋ねて来られたのでございました。ところが、 「では、そちらさまのご都合が....
「廿九日の牡丹餅」より 著者:岡本綺堂
ているべきであるが、母親の甘いのを幸いに、肩揚げのおりないうちから浄瑠璃や踊りの
稽古所ばいりを始めて、道楽の果てが寄席の高坐にあがるようになった。彼は落語家の円....
「卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
でも――云うことは下等だがね――一年はくらせよう。……はずんで、電話を呈しよう、
稽古所を承ろう。家を一軒――なぞというのは、皆謡の弟子なんです。 槙村さんも御....
「春の修善寺」より 著者:岡本綺堂
囲まれていた。色々の新しい建物が丘の中腹まで犇々と押つめて来て、そのなかには遊芸
稽古所などという看板も見えた。 頼家公の墳墓の領域がだんだんと狭まってゆくのは....
「思い出草」より 著者:岡本綺堂
い位であった。しかし今日のように追剥や出歯亀の噂などは甚だ稀であった。 遊芸の
稽古所というものも著るしく減じた。私の子供の頃には、元園町一丁目だけでも長唄の師....
「鷺娘」より 著者:大倉燁子
な人なら芸を捨てて勿体ないと思うけれど、あんた位なら別に惜しいこともないからね」
稽古所の格子戸がからりと開いて、娘達が笑声を先に立てて賑やかに入って来たが、忽ち....