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竹柏
「竹柏〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
竹柏の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「心中」より 著者:森鴎外
綿をちぎったような、大きい雪が盛んに降って、手水鉢《ちょうずばち》の向うの南天と
竹柏《なぎ》の木とにだいぶ積って、
竹柏の木の方は飲み過ぎたお客のように、よろけて....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
の行脚して此処にも滞留した碧梧桐「花林檎」の額、子規、碧、虚の短冊、与謝野夫妻、
竹柏園社中の短冊など見た。十五町歩の林檎園に、撰屑の林檎の可惜転がるのを見た。種....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
囀られた初のひとこえであったのである。 花圃と同時代には、木村曙女史のほかにも
竹柏園女史・幽芳女史などというひとびとが短篇小説をかいていた。また、小金井喜美子....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
屋おひなとなり、豪極《ごうき》にきこえた時の顕官山田○○伯を掴《つか》み、一転|
竹柏園《ちくはくえん》の女歌人となり、バイブルに親しむ聖徒となり、再転、川上|貞....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
邸の構内には、藤島さんという、伯父には長官にあたる造幣局のお役人のお宅があった。
竹柏園《ちくはくえん》佐佐木信綱《ささきのぶつな》先生の夫人《おくさま》がそこの....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
かしな事に、肋膜で病らったあの大病のあとの、短い日数《ひかず》のうちに、あたしは
竹柏園《ちくはくえん》へ入門していることだ。ほんとは、もっと早く奉公に出されぬ前....
「樋口一葉」より 著者:長谷川時雨
。 ――大正七年六月―― 昭和十年末日附記 随筆集『筆のまに/\』は、佐佐木|
竹柏園《ちくはくえん》先生御夫妻の共著だが、その一二五頁「思ひ出づるまに/\」大....
「市川九女八」より 著者:長谷川時雨
。 「好い先生といえば、ねえ、お師匠さん、依田先生が、和歌も学んだ方が好いから、
竹柏園《ちくはくえん》に通ったらどうだと仰しゃって、入門のことを話しといてあげる....
「一世お鯉」より 著者:長谷川時雨
ろうようもないと思われた時代である。花の三月、日本橋|倶楽部《クラブ》で催された
竹柏園《ちくはくえん》の大会の余興に、時の総理大臣侯爵桂大将の、寵娘《おもいもの....
「江木欣々女史」より 著者:長谷川時雨
本橋区の通油町《とおりあぶらちょう》というところから神田|小川町《おがわまち》の
竹柏園《ちくはくえん》へ稽古《けいこ》に通うのに、この静な通りを歩いて、この黒い....
「大塚楠緒子」より 著者:長谷川時雨
もうやがて二昔《ふたむかし》に近いまえのことでした。わたしは
竹柏園《ちくはくえん》の御弟子《おでし》の一人《ひとり》に、ほんの数えられるばか....
「大橋須磨子」より 著者:長谷川時雨
美しい人は、もう紅葉館の美姫としてではなかった頃であろう。その後ほどなくわたしは
竹柏園《ちくはくえん》先生のお宅の、お弟子たちの写真箱の中から、中島写真館で見出....
「柳原燁子(白蓮)」より 著者:長谷川時雨
鉱王伊藤伝右衛門氏にとつぐまで、別段文芸に関心はもっていられなかったようだった。
竹柏園《ちくはくえん》に通われたこともあったようだったが、ぬきんでた詠があるとは....
「紫式部」より 著者:長谷川時雨
、乏しいお小遣いで、親に内密で買った湖月抄の第二巻門石の巻の一綴りに、何やかや、
竹柏園先生のお講義も書き入れてあるのを、自分の参考にもっていったまま、ずっと手許....