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筋違
「筋違〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
筋違の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠義」より 著者:芥川竜之介
、左右手四五ヶ所、鼻上耳脇また頭《かしら》に疵《きず》二三ヶ所、背中右の脇腹まで
筋違《すじかい》に一尺五寸ばかり」である。そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本|阿....
「葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
洋燈を手に取るとやがてまた台所。 その袂に触れ、手に触り、寄ったり、放れたり、
筋違に退いたり、背後へ出たり、附いて廻って弥吉は、きょろきょろ、目ばかり煌かして....
「三枚続」より 著者:泉鏡花
交番でも棄てて置くは、店の邪魔はせず、往来には突懸らず、ひょろついた揚句が大道へ
筋違に寝て、捨鐘を打てば起きて行くまで、当障りはないからであったに、その夜は何と....
「唇草」より 著者:岡本かの子
をも湧かしてみた。あるいはまた、それは自分という女に飽き、同棲というものに飽きた
筋違いの不満の現わし方と見れば、見られぬこともないけれども、どうもその解釈だけで....
「牛」より 著者:岡本綺堂
、とうとう両国の広小路へ出ると、なんと思ったか一匹の牛は左へ切れて、柳原の通りを
筋違の方角へ駆けて行って、昌平橋のきわでどうやらこうやら取押えられた。」 「もう....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 「年代はたしかに覚えていませんが、あやつり芝居が猿若町から神田の
筋違外の加賀ツ原へ引き移る少し前だと思っていますから、なんでも安政の末年でしたろ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の名は残っていて、神田川の岸には型ばかりの柳が植えてあるようですが、江戸時代には
筋違橋《すじかいばし》から浅草橋までおよそ十町のあいだに高い堤が続いていて、それ....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
はあり、係りの役人達も大いにその情状を酌量してくれたのですが、理窟の上から云えば
筋違いで、そんなことで一々かたき討をされた日には、医者の人種が尽きてしまうわけで....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
奉公したのは、十五の春のことでした。そこは俗にいう瀬戸物町で、高麗橋通りに架った
筋違橋のたもとから四ツ橋まで、西横堀川に添うた十五町ほどの間は、ほとんど軒並みに....
「勧善懲悪」より 著者:織田作之助
営してやろうと、丹造は本気で思い、この想いを毎日ガラガラ走らせていた。 横堀|
筋違橋ほとりの餅屋の二階を月三円で借り、そこを発行所として船場新聞というあやしい....
「わが町」より 著者:織田作之助
の文学座へ太夫を送って帰り途、平野町の夜店で孫の玩具を買うて、横堀伝いに、たぶん
筋違橋か、横堀川の上に斜めにかかった橋のたもとまで来ると、 「他吉!」 と、い....
「わが町」より 著者:織田作之助
の文楽座へ大夫を送って帰り途、平野町の夜店で孫の玩具を買うて、横堀伝いに、たぶん
筋違橋か横堀川の上に斜めにかかった橋のたもとまで来ると、 「他吉!」 と、いき....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
っと安堵するとともに、復讐の志をいよいよ固めたのでございます。その上、同年、神田
筋違橋での住谷兄弟仇討の噂が、高松へもきこえて参りましたので、矢も楯もたまらず、....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
「大学われより一時先に死んだのだ」と云って近習の士に銀の珠数を持って来させ、肩に
筋違いにかけ前後を顧みて叫んだ。「今は各自の命を呉れよ」と云うが早いか栗毛に鞭く....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
入れたのだから、今はとかくの場合ではないと、軍勢一同に動いて、鍋島勝茂の上白下黒
筋違いの旗も、さっと前へ進んだ。鍋島勢が信綱の命に反して先駆したのではなくて、軍....