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「筑前〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

筑前の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
っているばかりであった。 将軍秀忠は、この日|寅《とら》の刻に出馬した。松平|筑前守利常《ちくぜんのかみとしつね》、加藤|左馬助嘉明《さまのすけよしあき》、 ....
わが町」より 著者:織田作之助
。 散髪屋の娘はもう二十八歳で、嫁に行かなかった。年中ひとつ覚えの「石童丸」の筑前琵琶を弾いていた。散髪に来る客の気を惹くためにそうしているらしく、それが一そ....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
陶晴賢が主君大内義隆を殺した遠因は、義隆が相良遠江守武任を寵遇したからである。相良は筑前の人間で義隆に仕えたが、才智人に越え、其の信任、大内譜代の老臣陶、杉、内藤等....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
争って居たのだが、信濃川中島へ退き松本を経て、美濃に退いて居た。さて最後に、羽柴筑前守秀吉であるが、当時、中国の毛利大膳大夫輝元を攻めて、高松城水攻をやっていた....
歌行灯」より 著者:泉鏡花
瓦にも響き転げる、轍の音も留まるばかり、灘の浪を川に寄せて、千里の果も同じ水に、筑前の沖の月影を、白銀の糸で手繰ったように、星に晃めく唄の声。 博多帯しめ、筑前....
死者の書」より 著者:折口信夫
った自分の語に、気づけられたように、子古は思い出した。今日か明日、新羅問罪の為、筑前へ下る官使の一行があった。難波に留っている帥の殿も、次第によっては、再太宰府....
馬妖記」より 著者:岡本綺堂
蹄館の戦いに明の李如松の大軍を撃ち破った武功の家柄であると伝えられている。隆景は筑前の名島に住んでいて、世に名島殿と呼ばれて尊敬されていたが、彼は慶長二年に世を....
謡曲と画題」より 著者:上村松園
得て申し候へ…… 謡曲「砧」は、こういううたい出しにて、主人の命をうけた夕霧が筑前国の芦屋の館へ下って、芦屋某の妻に会って、その主人の伝言をつたえるのでありま....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
に取ってもなかなか重大の仕事であろう。その禍いの絶頂ともいうべき天正九年に、羽柴筑前守秀吉は織田信長の命令をうけて、中国一円を切り従えるべく攻め下った。その時に....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
在したものか判然しないのであるが、とにかくに赤松以来その名を世に知られ、殊に羽柴筑前守秀吉が中国攻めの根拠地となるに至っていよいよ有名になったのである。慶長五年....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
て、所謂百余国を為し、各自王と称して、漢と交通を開いたものであったが、中にも今の筑前博多地方にあった奴国の王は、後漢の光武帝の時に入貢してその冊封を受け、印綬を....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
やろがな。あなたもひどい人やな、卑しくも、もったいなくも、正一位関白太政大臣羽柴筑前守秀吉公を籠伏せの刑に仰せつけるとはいったいどうしたのですかい! 」 「どう....
古事記」より 著者:太安万侶
人が足一つ騰《あが》りの宮を作つて、御馳走を致しました。其處からお遷りになつて、筑前の岡田の宮に一年おいでになり、また其處からお上りになつて安藝のタケリの宮に七....
婚期はずれ」より 著者:織田作之助
。なお先方は尺八の趣味があるといい、それも何となく奥床しいといえばいえ、かねがね筑前琵琶をならっている定枝とその点でも何か釣り合っているではないかと、これで纒ら....
わが町」より 著者:織田作之助
て来た。散髪屋の娘はもう三十二才で、嫁に行かなかった。年中一つ覚えの「石童丸」の筑前琵琶を弾いていた。散髪に来る客の気を惹くためにそうしているらしく、それが一そ....