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「築城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

築城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
松江印象記」より 著者:芥川竜之介
主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物であるが、自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほとんど何人《なんぴと》....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
いる。その上に彼は古今を通じての最も偉大な画家であり、彫刻家であり、まだおまけに築城師であり、また最も優雅な著作者でもあった。 この有力な人物は中世の僧侶たち....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
を増加し、第一次欧州大戦当時に比し、決戦戦争の方向に傾きつつある。 戦国時代の築城は当時の武力をもってしては力攻することが困難で、それが持久戦争の重大原因とな....
耽溺」より 著者:岩野泡鳴
うは敵国のため、ただ労働神聖の主義をもって、その科学的な多能多才の応ずるところ、築城、建築、設計、発明、彫刻、絵画など――ことに絵画はかれをして後世永久の名を残....
河明り」より 著者:岡本かの子
流れ、九段下から丸の内に入って日本橋川に通じ、芝浦の海に口を開いていた。この江戸築城以前の流域を調べることは何かと首都の地理学的歴史を訪ねるのに都合が良かった。....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。それが後年になって、ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
だから平場の戦いでは、毛利は到底、陶の敵ではない。そこで元就が考えたのは、厳島に築城する事だ。 元就は、厳島に築城して、ここが毛利にとって大切な場所であるよう....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
である。争うものは天下であると思っていたのだ。既に秀吉は自ら京に留り、山崎宝寺に築城して居住し、宮廷に近づき畿内の諸大名と昵懇になり、政治に力を注いだから、天下....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
の整備を急がせると共に、黒田長政、小西行長、加藤清正をして、肥前松浦郡|名護屋に築城せしめ、更に松浦|鎮信をして壱岐|風本(今勝本)に築かしめた。 松浦郡は嘗....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
明智光秀は、信長の将校中、第一のインテリだった。学問もあり、武道も心得ている。戦術も上手だし、築城術にも通じている。そして、武将としての品位と体面とを保つ事を心がけている。 ....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
たが、歳久しゅうして死なず、遂にかかる怪物となったのであって、かれらは今に至るも築城工事に駆り出されることを深く恐れているらしく、人に逢えば長城はもう出来あがっ....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
盾のようであるが、父の係りは営繕課であった。建築の方で起用せられていたのである。築城の素養があるといって、それが自慢の一つであった。 各藩の城廓の平面図に淡彩....
人身御供と人柱」より 著者:喜田貞吉
が発見される様であったならば、埋葬の深さは通例そう深いものではないのであるから、築城工事に際してそれに心付かぬという様な事もあるまじく、既にそれに心づいた以上、....
黒板は何処から来たのか」より 著者:小倉金之助
三年まで、ウェスト・ポイントの工学の教師として活躍した。彼が軍事工学――「戦争と築城の科学」――を教授しようとした時、その学修上、先ず予備知識として必要な数学か....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
しかも兵力の増加が迂回をも不可能にした結果持久戦争に陥ったのであった。戦国時代の築城は当時これを力攻する事困難でこれが持久戦争の重大原因となった。そこで前に述べ....