篠原[語句情報] »
篠原
「篠原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
篠原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
れは九月のなかばから白面《はくめん》金毛《きんもう》九尾《きゅうび》の狐が那須の
篠原《しのはら》にあらわれて、往来の旅びとを取り啖《くら》うは勿論、あたりの在家....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
で、さき頃のハレー彗星のような騒ぎであった。しまいには錦絵まで出来て、西郷|桐野
篠原らが雲の中に現われている図などが多かった。 また、その頃に西郷鍋というもの....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
西郷降盛が兵を率いて鹿児島を発したときの軍容は次の通りである。 第一大隊長
篠原 国幹 第二大隊長 村田 新八 第三大隊長 永山弥市郎 第四大隊長 桐....
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
に近藤勇の為めに、倒された転向勤王派たる、伊東|甲子太郎の残党なる鈴木三樹三郎、
篠原|泰之進、加納|就雄などが、薩摩の伏見屋敷に庇護されていた。 十二月十八日....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
豊後守の屋敷があって、ちょっぴりとその真中へ狭まった町家のうちに、円山派の画描き
篠原梅甫の住いがある。 大していい腕ではないが、妻女の小芳というのがつい近頃ま....
「川端康成へ」より 著者:太宰治
ることになった。私はさっそく貸家を捜しまわっているうちに、盲腸炎を起し阿佐ヶ谷の
篠原病院に収容された。膿が腹膜にこぼれていて、少し手おくれであった。入院は今年の....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
の日こゝで生別の死別をした若者を忘るゝことが出来ぬ。
其は小説|寄生木の原著者
篠原良平の小笠原善平である。明治四十一年の三月十日は、奉天決勝の三週年。彼小笠原....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
らい人だって評判だよ」 「こわいな」と千三は思わずいった。黙々先生といえば本名の
篠原浩蔵をいわなくとも浦和の人はだれでも知っている。先生はいま五十五、六歳、まだ....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
、自然科学、文化科学方面の科学批判に、岡、戸坂をはじめとし、永田広志、秋沢修二、
篠原道夫、森宏一、今野武雄、伊藤至郎、石原辰郎、石井友幸、新島繁、早川二郎、伊豆....
「蛇怨」より 著者:田中貢太郎
て落ちているので、土地の人は大樽と呼んでいる。 その滝の在る山を南に越えた処に
篠原と云う農家があった。何時の比の事であったか年代ははっきりと判らないが、しかし....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いるに相違ない。 四十四 これよりさき、二人の風流客は、小笹
篠原を探し分けて、ほとんど道なき方へ進んで行きました。 この二人というのは、生....
「文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
すから、発表されたのは明治四十二年でありますが、これを描写したのは、作中の主人公
篠原良平が仙台へ飛び出して来たときのことでありまして、
篠原良平が少年の眼で見たと....
「髷」より 著者:上村松園
きところもあり……というのが、今の花嫁である。 そのむかし源平合戦の折り加賀の
篠原で、手塚太郎が実盛を評して、侍大将と見れば雑兵のごときところあり、雑兵かとみ....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
みよって、振付として高尾楓蔭氏、久松一声氏等が招聘され、第二期生として瀧川末子、
篠原浅茅、人見八重子、吉野雪子の四名がくわわって、ここにはじめて宝塚少女歌劇養成....
「思い出草」より 著者:岡本綺堂
んで、先頃のハレー彗星のような騒ぎであった。終局には錦絵まで出来て、西郷・桐野・
篠原らが雲の中に現れている図などが多かった。 また、その頃に西郷鍋というものを....