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「篤信〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

篤信の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
少女地獄」より 著者:夢野久作
意によって諭示退職の処分をされる事になったという。 しかし以前からメソジストの篤信者《とくしんじゃ》であった白鷹久美子夫人は、かねてから彼女のそうした悪癖に対....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
すとも憾みは無い善良の生涯を送って居たので、生の目的は果した。彼女の実家は仏教の篤信者で、彼女の伯母なぞは南無阿弥陀仏を唱えつゝ安らかな大往生を遂げた。彼女にも....
十二支考」より 著者:南方熊楠
》け出て野生となり、大群をなして未墾の曠野を横行し居ると。 日本の馬の事、貝原篤信の『大和本草』巻十六にいわく、『旧事記』に保食神《うけもちのかみ》の目に、馬....
十二支考」より 著者:南方熊楠
冒して、小暴動を起したくらいに止まり、わが邦では古く帝皇以下ことごとくその経文を篤信して静かにその出世を竢たれたので、どんな結構な文も読む者の心得一つで危険思想....
」より 著者:鷹野つぎ
小谷に頼もうと、云われるほどの信任があることも知っていた。それほどだから病院中の篤信者であり、看護にも誠実家として屈指の一人であるのは云うまでもなかった。床上を....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
仏生寺弥助殿ならば、先年、京都で殺されているはずです」 「そうでしたか」 「斎藤篤信斎の甥《おい》に当りますかね」 「ははあ」 「そもそも斎藤弥九郎先生が、越中....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
すれば無頼漢になってしまう。これより先、江戸三剣士(千葉、桃井、斎藤)の一人斎藤篤信斎弥九郎が、その門弟のうちから十余人の腕利《うできき》を選抜して「勇士組」と....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
や、竹刀と道具を釣台に舁《かき》のせて、麹町九段坂上三番町、神道無念流の師範斎藤篤信斎弥九郎の道場、練兵館へ押寄せて、殺気満々として試合を申し込んだものだ…… ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
い腕の出来る奴はないのだが、心術がよくないため、長州の勇士組から見放され、師匠|篤信斎《とくしんさい》からも勘当を受け、そうして今はああして、亡者の体《てい》と....
十二支考」より 著者:南方熊楠
貼《は》るべし、雄鼠の糞は角立てあり、雌鼠の糞は丸しとある(『譚海』一五)。貝原篤信先生は、ちと鼠から咬まされた物か、猫を至って不仁な獣と貶《けな》し、鼠は肉、....
山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
いる。 しかも尚、四天王寺には、古くは、日想観往生と謂われる風習があって、多くの篤信者の魂が、西方の波にあくがれて海深く沈んで行ったのであった。熊野では、これと....
双面獣」より 著者:牧逸馬
きが懐しく、それへ心身の全部を打ち込みたい為めだと、平常よく人に話していた位いの篤信家だったのである。一体オウオソ町は、大工が多い。州の産物として材木が一位を占....
加波山」より 著者:服部之総
、ひょっとしたらべんねんは恋の遺恨で親鸞をねらったのかもしれないぞと書き加えた。篤信の弟はそれについては何の返事もよこさなかった。それはさておき桜井夫妻にはすで....
三国志」より 著者:吉川英治
班 領長史|綏軍将軍 楊儀 前将軍征南将軍 劉巴 前護軍|偏将軍 許允 左護軍|篤信中郎将 丁咸 右護軍偏将軍 劉敏 後護軍興軍中郎将 官※ 行参軍昭武中郎将 ....