粟田[語句情報] »
粟田
「粟田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
粟田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「藪の中」より 著者:芥川竜之介
ます。もっともわたしが搦《から》め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、
粟田口《あわだぐち》の石橋《いしばし》の上に、うんうん呻《うな》って居りました。....
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
しい冬の恋じゃ。命をなげての恋じゃ。 三十郎 命がけの恋じゃとも。まかり違えば、
粟田口で磔《はりつけ》にかからねばならぬ恐ろしい命がけの恋じゃ。 源次 昨日も宮....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
居|大平の親しい学友であり、橘曙覧の師に当たる。その青年時代には尾張熱田の社司|
粟田知周について歌道を修め、京都に上って冷泉殿の歌会に列したこともあり、その後し....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
たとき、本郷(日本)を憶って作った歌である。憶良は文武天皇の大宝元年、遣唐大使|
粟田真人に少録として従い入唐し、慶雲元年秋七月に帰朝したから、この歌は帰りの出帆....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
郎と円朝物とは離れぬ因縁が結ばれたらしく、二十八年一月の新富座では又もや円朝の「
粟田口」を上演した。名題は「
粟田口|鑑定折紙」主なる役割は小森新之丞、下男与助(....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
の隠家、かさねヶ淵の三種などでございます。それより素話になりましてからは沢の紫(
粟田口)に次では此の業平文治でございます。その新作の都度私どもにも多少相談もあり....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
敷の中に、人のいない筈はない。が、おれは大丈夫だ。五人十人かかって来たところで、
粟田口がものをいう。斬って捨てるに手間ひまはいらぬ」「それはマアそうでございまし....
「『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
いて在国の家老以下に、それぞれ血判を押させて徴発し総勢四千人ばかりにて上京、まず
粟田宮、鷹司公父子を遠島に処し、近衛三条両公を知行所に押し込め、次に鳳輦を彦根城....
「茶屋知らず物語」より 著者:岡本かの子
ものか、四郎兵衛は思案に暮れていました。 夏の事ですから道喜の笹ちまき、それに
粟田口のいちご、当時京都の名物とされていたこれ等の季節のものを運んで女中二三人が....
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
々の、記憶にはまだ新しい室町通の大経師の女房おさんが、手代茂右衛門と不義をして、
粟田口に刑死するまでの、呪われた命懸けの恋の狂言であった。 藤十郎の芸に取って....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
る。ここにおいてさらに我が続日本紀を按ずるに、文武天皇大宝二年五月、遣唐持節使|
粟田真人唐に入る。真人初め唐に至るや、「人あり来り問うて曰く、何処の使人ぞ。答へ....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
朝死す、六十二歳。近世の名人と称せられ、その口演になる「牡丹灯籠」「塩原多助」「
粟田口」「名人長次」のたぐいはしばしば脚色して各劇場に上演せらる。 ○十一月、歌....
「古事記」より 著者:太安万侶
お治めなさいました。兄のアメオシタラシ彦の命は・春日の臣・大宅《おおやけ》の臣・
粟田の臣・小野の臣・柿本の臣・壹比韋《いちひい》の臣・大坂の臣・阿那の臣・多紀《....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
染のお話でございますが、ちと昔の模様でございまして、草双紙じみた処もございます。
粟田口國綱と云う名剣が此の金森家にございます。これはその北條時政の守刀で鬼丸と申....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
歩んだのである。 京都における悲田院の非人の数は年とともに段々増加して、当初の
粟田口付近の一箇所のみに収容し難くなり、他に五箇所の収容所を設けて、いわゆる垣内....