紀州[語句情報] » 紀州

「紀州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

紀州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玄鶴山房」より 著者:芥川竜之介
へ乗りこむことにした。長い航海も彼女には存外苦痛ではないらしかった。しかし彼女は紀州沖へかかると、急になぜか興奮しはじめ、とうとう海へ身を投げてしまった。日本へ....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
てあった防空監視哨は、手にとるように、刻々と敵国空軍の行動を報告してきた。それが紀州沖から、志摩半島沖、更に東に進んで遠州灘沖と、だんだん帝都に接近してきた。 ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
と訳があるので……」 今から二十年ほど前に、和泉屋の番頭勇蔵が入牢した。それは紀州家か尾張家かへ納めた品々に、何か不正のことがあったと云うのである。その吟味中....
地球要塞」より 著者:海野十三
「じゃあ、艇を、ここから東北東|微東《びとう》へ向けて走らせよ。いや、要するに、紀州の南端《なんたん》潮岬《しおのみさき》へ向けて見よ」 「はい。潮岬へ来ました....
売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
そりたての今道心にして、一緒に寝ようと思ったのよ。――あのね、実はね、今夜あたり紀州のあの坊さんに、私が抱かれて、そこへ、熊沢だの甘谷だのが踏込んで、不義いたず....
灯明之巻」より 著者:泉鏡花
で担って、燈心で括って、 仏様のうしろで、一切食や、うまし、二切食や、うまし……紀州の毬唄で、隠微な残虐の暗示がある。むかし、熊野|詣の山道に行暮れて、古寺に宿....
馬地獄」より 著者:織田作之助
てきた。貧乏たらしく薄汚い。哀れな声で、針中野まで行くにはどう行けばよいのかと、紀州訛できいた。渡辺橋から市電で阿倍野まで行き、そこから大鉄電車で――と説明しか....
銀座は昔からハイカラな所」より 著者:淡島寒月
車のことですが、当時は原語そのままにオムニバスと呼んだものです。このオムニバスは紀州の由良という、後に陛下の馭者になった人と私の親戚に当る伊藤八兵衛という二人が....
獄中消息」より 著者:大杉栄
ことを憚るだろうが、右言うようなことなら勿論承知するだろう。また、山田からは別に紀州へも報告を送って大山田の意見をも猪伯父あるいは伸に送って貰えばさらにいい。足....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
れているが、その原作は神田|伯山の講談である。伯山はこの講談の創作に苦心し、殊に紀州調べに遣わしたる家来らが容易に帰らず、百日の期日が尽きんとして越前守が切腹を....
鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
者は競って水練をはげむようになった。 あらためて言うまでもなく、八代将軍吉宗は紀州から入って将軍職を継いだ人で、本国の紀州にあって、若いときから常に海上を泳い....
人魚謎お岩殺し」より 著者:小栗虫太郎
においても天明のころ、その二つを合したような、事蹟が残されているのだ。 それが紀州公|姉川探鯨だったのである。 正史においてすら、仄かではあるけれど、西班牙....
茶屋知らず物語」より 著者:岡本かの子
みこなして貰う方が早道と思うが」 先ずこんな調子の人物でした。 法眼は不断、紀州に住み、円通は大阪に住んでいました。ところが法務の都合で二人は偶然、京都に落....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
神功皇后と応神天皇とを合祀するともいうし、あるいは女体であるともいうが、左に右く紀州の加太の淡島神社の分祠で、裁縫その他の女芸一切、女の病を加護する神さまには違....
西航日録」より 著者:井上円了
笑うことなかれ、古来、ここは巨人の庭と呼ばれているのだ。) この近海の風景は、紀州海岸の風景に髣髴たるところ多し。いたるところ奇石怪巌しかも絶壁千百丈、シナの....