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「累世〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

累世の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
寛永武道鑑」より 著者:直木三十五
の仇討は、荒木方四人、又五郎方士分、小者ともで、合せて十一人と、藤堂家の公文書「累世記事」にも残っているし、その外俗書にも、同じであるが、一竜斎貞山(二代目)が....
十二支考」より 著者:南方熊楠
まで存せり、その頃大友|義鎮《よししげ》、武威九州に冠たり、菊池これと婚を結び、累世の宝物を出し贈る、この馬その一に居る、義鎮受けて筑後の坂東寺村に置き、田を給....
女大学評論」より 著者:福沢諭吉
は、上古蛮勇時代の遺風、殊に女大学の教訓その頂上に達したるの結果に外ならず。即ち累世の婦人が自から結婚契約の権利を忘れ、仮初《かりそめ》にも夫の意に逆うは不順な....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
りしという。すなわちその思想は純然たる古流にして、三河武士一片の精神、ただ徳川|累世の恩義に報ゆるの外|他志あることなし。 小栗の人物は右のごとしとして、さて....
赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
ろう。それに公綱は弓矢とっては、坂東一と称さるる人物。従う紀清両党の兵は、宇都宮累世養うところのもの、戦場に於て命を棄つること、塵埃の如く思いおる輩じゃ。その兵....
加波山」より 著者:服部之総
う》と思想的発展転化の基底にいきづくものは、はたして俗論史家の論断のごとき河野氏累世の尊王精神であったか。磐州みずからいうごとく豪族をいただく自由独立精神であっ....
三国志」より 著者:吉川英治
たが、ふしぎにもこの玉璽を持つ者は、一身つつがなく栄え、玉璽もいつか世に現れて、累世朝廷の奥に伝国の宝として、漢の高祖より今日まで、伝え伝えて参った物ですが……....
三国志」より 著者:吉川英治
だ。人と生れながら、忠孝の本をわきまえぬはずはあるまい。曹操は相国曹参の後胤で、累世四百年も漢室に仕えてその禄を食みながら、いま漢室の衰えるを見るや、その恩を報....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
いひ、小六|正昭と称し、後蜂須賀氏に改む。(略)――是より子孫蜂須賀氏を襲ふて、累世氏名となしぬ。 時に、松波荘九郎といふ者、武者修行として、稀※、蜂須賀邑に....