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「終極〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

終極の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
竹青」より 著者:太宰治
威張ってみたいのだ。故郷の者たちに尊敬されるという事は、人間の最高の幸福で、また終極の勝利だ。」 「どうしてそんなに故郷の人たちの思惑ばかり気にするのでしょう。....
惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
人生活とはたしかに軒輊するであろう。私にはそうは思われない。社会の欲求もまたその終極はその生活内部の全体的飽満にあらねばならぬ。縦令現在、その生活の基調は智的生....
思想としての文学」より 著者:戸坂潤
と解釈とに道が通ずる」といっても、ブルジョア・ジャーナリズムの下ではそういう道が終極において閉じられているので、形式的にはどうであろうと実質的な文学的進歩のない....
辞典」より 著者:戸坂潤
在が人間の意識を限定する。と云うのは社会の物質的な現実的な地盤である生産関係が、終極に於て社会に於ける人間の意識の形態を決定するのである。この際前者の物質的地盤....
わがまま」より 著者:伊藤野枝
子に対して厳格な監督者である威厳を示そうとするその二つのものが、登志子の目には始終極端にそぐわぬものになって極めて不自然に滑稽に見えた。彼女はひとりでその叔父の....
世界新秩序の原理」より 著者:西田幾多郎
の世界史的使命を以て一つの世界的世界に結合するのである。これは人間の歴史的発展の終極の理念であり、而もこれが今日の世界大戦によって要求せられる世界新秩序の原理で....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
、芝居の裸体問題、――ドイツは頽廃《たいはい》してるとは思わないかどうか、音楽は終極に達してるとは思わないかどうか、その他種々。クリストフとオリヴィエはそれをい....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
たちはただその日その日を送り、すぐつぎの限界より先には眼をつけず、その限界を道の終極だと想像している。自分たちを運び去る波だけを見ていて、海を見ていない。今日の....
範疇としての空間に就いて」より 著者:戸坂潤
於て主観にぞくすということも、又表象が凡ゆる意味に於て意識にぞくすということも、終極に於ては一つの疑問であるかも知れない。仮にそれを何れとしても更に、空間が凡ゆ....
可能性の文学」より 著者:織田作之助
だから、けっしてマイナス的試みではない。しかし、肉体を描くということは、あくまで終極の目的ではなくて単なるデッサンに過ぎず、人間の可能性はこのデッサンが成り立っ....
人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
輸出制度の下ににおいては、そういうことはないであろう。 『そしてもし、奨励金の終極的傾向が明かに国内市場における穀物の平均価格を引下げるにあるならば、ある特定....
学校教育における図書館の利用」より 著者:佐野友三郎
の観あるべしといえども一たび児童の興味を喚起し自学自修の習慣にして養成せらるれば終極の進歩は刮目に値すべし。 国語辞書に次ぎて必要なるは少年用百科辞典の編纂な....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
化以上の根本原理にさかのぼらなければならぬ。この第三の融合的実在論は実在論として終極のもので、どうしても実在論というものは、畢竟ここに至らなければならないのであ....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
九十六年の始《はじめ》に及び遂《つい》にその研究の最も斬新にしてまた恐らくはその終極たるべき完全無欠の良著を得たり。これ即ちフェノロサが同年|紐育《ニューヨーク....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
象ぶかい状態にある一瞬をとらえて味わうという態度を、私は和歌的観照の中世における終極として考えている。これはある意味では生活のデカダンである。こうした自然の種々....