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「給費〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

給費の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
青春の逆説」より 著者:織田作之助
が答えた。 「すると、三人とも落第――?」 「異議なし」 秀英塾では落第すると給費を中止するという規定を教授達はみな知っていた。が、誰も想い出さなかった。そう....
道草」より 著者:夏目漱石
項取調のためという名義の下《もと》に、官命で遣《や》って来たその人の財力と健三の給費との間には、殆《ほと》んど比較にならないほどの懸隔があった。 彼は寝室の外....
金魚撩乱」より 著者:岡本かの子
と、真佐子は美事な一視同仁の態度で三人の青年に交際していた。鼎造が元来苦労人で、給費のことなど権利と思わず、青年を単に話相手として取扱うのと、友田、針谷、横地と....
浮雲」より 著者:二葉亭四迷
月日を送ッている。ト或る時、某学校で生徒の召募があると塾での評判取り取り、聞けば給費だという。何も試しだと文三が試験を受けて見たところ、幸いにして及第する、入舎....
技術の哲学」より 著者:戸坂潤
からは例外としてか又は特殊の条件に偶伴された以外には(例えば有力者の知遇や公私の給費)、決して学生は送り出されない。明治初年以来台頭しつつあったブルジョアジーが....
社会時評」より 著者:戸坂潤
年五千円を、学術研究費として帝国学士院へ、残りの利子を有望な学者と貧困な学生とに給費することにしたそうである。それから、これより先三井家は三千万円で財団法人「三....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
それを買って土間の一人分と合せて、一分二朱位を払った。その頃われわれの藩から貰う給費は金十両であったが、太政官札が低れていたから、この札にすると十二両となるので....
考城隍」より 著者:田中貢太郎
予(聊斎志異の著者、蒲松齢)の姉の夫の祖父に宋公、諱を※といった者があった。それは村の給費生であったが、ある日病気で寝ていると、役人が牒を持ち、額に白毛のある馬を牽い....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
萩の人の由。漢詩などをやる(文学のことでしょう)のが好きであったが、家が貧しくて給費生となるには当時(明治以前)工学でなければ駄目だった。それで工学をやるように....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
て、天分をことごとく失ってしまったかのようだった。新たにはいった中学校で首尾よく給費生になり得たが、最初のうちは級別が不運だったので、給費生の資格を取り上げられ....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
る院長の観察だった。 そういう予言をした院長は、すぐにコゼットを好きになって、給費生として彼女を寄宿舎に入れてくれた。 これはいかにも当然なことである。修道....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
を平均すれば二十四、五軒にすぎないから、これに十二円を割り当てると、一軒当りの配給費はまさに五十銭である。それゆえ御註文品の金高があまりに小さい時はお断りするほ....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
いに協定配達区域により、人の領分を犯さない代わり、他人からも侵されない。従って配給費が非常に安くつくからだ。私の伜がハイデルベルヒの小高いところに下宿していて、....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
退を要求した。そのうち伊藤も試験にパスして松竹キネマ俳優学校の生徒となり、一定の給費を受けて通学するようになつたので、我々は谷中真島町の下宿に移つて別々の部屋に....
母子像」より 著者:久生十蘭
六年二ヵ月、出生地はサイパン島……聖ジョセフ学院中学部一年B組、アダムス育英資金給費生……父はサイパン支庁の気象技師で、昭和十五年の死亡。母は南洋興発会社の内務....