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総代
「総代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
総代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「冬」より 著者:芥川竜之介
。僕の従兄《いとこ》は四五日前にそこの刑務所にはいっていた。僕は従兄を慰める親戚
総代にほかならなかった。が、僕の気もちの中には刑務所に対する好奇心もまじっている....
「カインの末裔」より 著者:有島武郎
らぬ。だから今度地主が来たら一同で是非とも小作料の値下を要求するのだ。笠井はその
総代になっているのだが一人では心細いから仁右衛門も出て力になってくれというのであ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
みに行っただけで、葬式の供には立たなかった。大工の兼吉と店の若い者二人と、親類の
総代が一人、唯それだけの者が忍びやかに棺のあとについて行った。内福と評判されてい....
「号外」より 著者:国木田独歩
いという次第じゃアないか。」と中倉翁の答えすこぶるよし。 「じゃア僕ががっかりの
総代というのか」と加藤男また奇抜なことをいう。 「だから君はわれわれの号外だ。」....
「谷より峰へ峰より谷へ」より 著者:小島烏水
見るように思われて、私は偶像崇拝者の気になり、何だか自分でひとり決めに、日本人の
総代になったつもりで、ちょっと目礼をしてみた、実際石と石の間に割り込んだ我々三人....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
話会の夜、私はあなたの演説を聞いた。あなたはまさに本校を去らんとする三年生一同の
総代として告別の辞を述べられたのであった。私は初めあなたが壇上に立たれたとき不快....
「獄中生活」より 著者:堺利彦
いに曇天で、……来会者は男女合せて百五十余名の多きに達した。……安部磯雄氏発起人
総代として開会の趣旨を述べ、その中に「本日の会合はもとより堺氏出獄の歓迎を兼ねて....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
でも私は知らぬ顔で、学校の暇な時には院主様の車のあとにしたがって、檀中や何々講の
総代の家を訪れた。院主は常に経堂再建、ケーブルの敷設計画、年頭年始何やかやと多忙....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
たニイチェの鬚のような鬚をもったひとりの学者が、プッチール氏から教を受けた人々の
総代として独逸語で演説された。私のそばにいた三年生のひとりが、「あれは呉博士であ....
「保久呂天皇」より 著者:坂口安吾
。クマのタマをこめた二連発を放したことがないから始末がわるい。部落会長の六太郎が
総代となって彼を訪ねて、 「部落の者はお前のおかげで仕事にもさしつかえているが、....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
は参れと言った。三次には照林坊という由緒のある浄土真宗の寺があって叔父はその檀家
総代の一人であった。寺の世話はよく焼いた。家にも仏壇だけは立派なのを据えてあった....
「画道と女性」より 著者:上村松園
高松宮家へ御輿入になる徳川喜久子姫の御調度の一にお加えになるのだからと申すので、旧臣の
総代として京都大学の新村博士が私のところに見えられ、御屏風揮毫の御依頼がありまし....
「註文帳」より 著者:泉鏡花
そうでない。魂魄この土に留まって、浄閑寺にお参詣をする私への礼心、無縁の信女達の
総代に麹町の宝物を稲荷町までお遣わしで、私に一杯振舞うてくれる気、と、早や、手前....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
の住職は、ほとんど全く一寺を支配するの特権を有するも、非国教宗の牧師は、檀家中の
総代人とともに一寺を支配するの権を有す。ゆえに、非国教宗にありては、檀家のもの牧....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
賛成を願います。なんでもこちらに出ていただかないと、どうもなりませんで。二等船客
総代という格で伺った訳なんですが、是非どうかひとつ御声援を。ええ。」 「うむおも....