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「総司令部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

総司令部の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
地球要塞」より 著者:海野十三
た貴重な暗号帳を開きながら、電鍵を叩いたのであった。 ところが、元帥のいる戦軍総司令部は、なかなか出て来なかった。 (暗号が、違っているのかな?) 私は、暗....
勲章を貰う話」より 著者:菊池寛
は、自分が不具になったという悔恨は、少しも残っていなかった。 彼は二、三日前、総司令部からこの日ニコライ太公が、戦線からの帰途この病院を訪うて、サン・ジョルジ....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
を買った時手に入れた弾帯で、短銃其ものは明治三十八年の十二月日露戦役果て、満洲軍総司令部凱旋の祝砲を聞きつゝ、今後は断じて護身の武器を帯びずと心に誓って、庭石に....
硝子を破る者」より 著者:中谷宇吉郎
ちには、この「底知れぬ野蛮性」は恐怖の謎《なぞ》であったにちがいない。 東京で総司令部の報道関係の一将校に会った時に、この点について質問されて、大いに困ったこ....
今日の日本の文化問題」より 著者:宮本百合子
ることなどである。第一の軍国主義教育の払拭のためには一九四五年十月二十二日連合軍総司令部から教育の民主化に関する指令が発表された。その内容は大体次の通りである。....
三年たった今日」より 著者:宮本百合子
民主化ということが最も正直に考えられ、実行されようとした期間であった。当時連合軍総司令部から発表された指令の一つ一つをかえりみてもそれは明瞭であるし、日本政府も....
世界は求めている、平和を!」より 著者:宮本百合子
一週間日本でも世界人権宣言第二周年の記念週間がもたれた。十二月五日『東京新聞』に総司令部の人権擁護班長ガートスタイナー氏が人権宣言の趣旨について語っていた。「人....
年譜」より 著者:宮本百合子
行われた。九月〔二〕日にミズリー艦上で降伏文書調印が行われた。 十月四日、連合軍総司令部の指令によって、治安維持法の撤廃、政治犯人の釈放、言論、出版、集会の自由....
三国志」より 著者:吉川英治
兵は西から。 また、曹操は北方の山をこえて、淮南の野を真下にのぞみ、すでにその総司令部を寿春からほど遠からぬ地点まで押しすすめてきたという。 寿春の上下は色....
三国志」より 著者:吉川英治
った。 「大丈夫だ」 「なんの、さわぐことはない」 袁紹父子は、最後に至るまで総司令部と敵とのあいだに、分厚な味方があり、距離があることを信じていた。 ――....
三国志」より 著者:吉川英治
いたるところに水寨を構え、周瑜はその中央の地点に位する西山をうしろにとって水陸の総司令部となし、五十里余にわたって陣屋、柵門を構築し、天日の光もさえぎるばかり、....
三国志」より 著者:吉川英治
荊州諸路の軍馬を集め、丁奉、徐盛などの諸将を新たに加えて、堂々と新鋭の旗幟を、総司令部に植えならべた。 けれど従前から各部署にいる大将連は、昂然として、みな....
三国志」より 著者:吉川英治
した司馬懿の方針には、充分感心していたが、さりとてその通りに行っているのも、この総司令部に人なきようでいやだった。彼のささやいた彼自身の一策は、これまた曹真を動....
私本太平記」より 著者:吉川英治
しかしこの猛気の軍勢に、一歩でも洛内の地を踏むことをゆるしたら、それこそ北条氏総司令部たる六波羅の府は、たちどころな大混乱におちいってしまうほかはない。 そ....