総見[語句情報] »
総見
「総見〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
総見の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
やって来るわけもない。芝居でやる大徳寺焼香の場面など、嘘である。寺内に一宇を建て
総見院と呼んだ。信長を後世
総見院殿と称するは此時からである。 中原に在って勢威....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
から橋詰、荒町の裏通りまで残らず見分に出かけた。中のかやから美濃境の新茶屋までも
総見分を行なった。八月の半ば過ぎになると、稲穂もよほど見直したと言って、半蔵のと....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
でした。今まで景気よく担《かつ》ぎ上げて来た長持は大道中へおっぽり出して、立見の
総見になだれこんだのです。せめて、もう少し老功者でもいたことならば、同じおっぽり....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
想するでしょう。左団次と小山内薫の自由劇場の公演のとき、三田文学会は揃いの手拭で
総見し、美術学校の生徒は赤い帽子の揃いで見物して、左団次も舞台でそれをかぶった由....
「我が人生観」より 著者:坂口安吾
様な願望だ。 織田信長のような、理智と、実利と計算だけの合理主義者でも、安土に
総見寺という日本一のお堂をたてて、自分を本尊に飾り、あらゆる日本人に拝ませようと....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
まう勘定である。 私たちはこの話を聞くとたちまち例の運動を起して華々しく徳利の
総見をおこなつた。 赤垣源蔵が徳利を置くと黒い布をかぶつた小さいやつが出てきて....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
。彼が生前に松島に瑞巌寺をたて自分の廟所に予定したのも、平泉的でもあるし、信長の
総見寺という御手本もある。しかし、瑞巌寺は二級品ですよ。方丈の屋根だけは美しいと....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
なことを発案し実行しつつあるように伝えている。 それによると、信長は安土城内に
総見寺をつくり、その本尊として釈尊ではなく、彼自身の像を飾ることを考えている。信....
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
手先、おのれの味方と信じておるから、謀《はか》られるとは知らず、大いによろこび、
総見の気で、女子ふたり引きつれて初日に出かけたといたそう。筋書きどおりに、火を失....
「五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
ば、御辺は卒爾を、人にしかけるものかなといふ中に、又飛礫を雨のごとくに打ければ、
総見物ども入乱て、このうちに馬鹿者こそ有遁すまじとて、太刀かたな引ぬきて、爰に一....
「白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
下さい。 (――すぐ、あとで、本郷座の前茶屋へ顔を出しますから――) 花柳界の
総見で、楽屋は混雑の最中、おいでを願ってはかえって失礼。お送りをいたすはずですが....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
万事金世中」、大入りにて、六十余日を打ち続け、京浜在留の外国人より、引幕を贈りて
総見物あり。 ○五月八日、初代市川女寅死す、二十八歳。容貌技芸共にすぐれ、前途多....