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縉
「縉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
縉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
なり。詩は蓋し其の心を用いるところにあらずと雖も、亦おのずから観る可し。其の王仲
縉感懐の韻に次する詩の末に句あり、曰く 壮士 千載の心、 豈憂へんや 食と衣とを....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
いると間もなく深い関係を結んだという神祇職の白川資訓卿とは、これまで多くの志士が
縉紳への遊説の縁故をなした人で、その関係から長州藩、肥後藩、島原藩なぞの少壮な志....
「続黄梁」より 著者:田中貢太郎
朝廷にも往かずに、毎日|酒宴を催していた。ある日曾は、自分が賤しかった時、村の紳
縉王子良という者の世話になったことを思いだして、自分は今こんなに栄達しているが、....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
れた。その以来、怪しい賭博者は影をかくした。 野象の群れ 宋の乾道七年、
縉雲の陳由義が父をたずねるために※より広へ行った。その途中、潮州を過ぎた時に、土....
「五通」より 著者:田中貢太郎
うになった。 又 金生は字を王孫といって蘇州の生れであった。淮安の
縉紳の屋敷の中にいて土地の少年子弟を教授していた。その屋敷の中にはあまり家がなく....
「阿霞」より 著者:田中貢太郎
晩年を送ってください。」 景は感謝して帰り、その金のうちから十余金さいて、ある
縉紳の家にいる婢を買って細君にしたが、その女はひどく醜くて、それで気が強かった。....
「封三娘」より 著者:田中貢太郎
ことはできない。十一娘はそこで死んでも孟と結婚しようと決心した。 数日して某|
縉紳の子が十一娘に結婚を申しこむことになったが、普通の手段では諧わないと思ったの....
「北斎と幽霊」より 著者:国枝史郎
晴らしいものであった。その屋敷を写山楼と名付け、そこへ集まる人達はいわゆる一流の
縉紳ばかりで、浮世絵師などはお百度を踏んでも対面することは困難しかった。――その....
「二都物語」より 著者:佐々木直次郎
徳に貢献するところがあったにしても、――当日モンセーニュールの邸宅に伺候した貴顕
縉紳の間にあっては、少くとも最も現実性に富んだ人物であった。 なぜなら、その室....
「夫人利生記」より 著者:泉鏡花
。ただ緋毛氈のかわりに、敷妙の錦である。 ことごとく、これは土地の大名、城内の
縉紳、豪族、富商の奥よりして供えたものだと聞く。家々の紋づくしと見れば可い。 ....
「卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
い、ただ捜せ、捜すと極めて、当地第一の料亭、某楼に、橘八郎先生歓迎の席を設けて、
縉紳貴夫人、あまた、かつは主だったる有志はじめ、ワキツレ囃子方まで打揃い、最早着....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
常にいっていた。この説もまた必ずしも見当違いでなく、無知文盲なる貧民階級に往々|
縉紳貴族に勝るの立派な人格者を見出す事も稀にはあるが二葉亭は強てイリュージョンを....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
撕に生じたのだから、社会的には今日の新劇運動よりも一層大仕掛けであって、有力なる
縉紳貴女を初め道学先生や教育家までが尽く参加した。当時の大官貴紳は今の政友会や憲....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
のための歌というようなものがしきりに詠まれるようになってくる。もち論これは皇室・
縉紳の上についてのことでなくて、成り出者の武将などに多かったのであって、和歌の受....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
のも忠孝並びいたる禎介氏の功績が与って力がある。少々は酒がいける。Mさんは神戸の
縉商である。いうところによると、美術院の大観観山等の極めて親しいパトロンだそうで....