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美術界
「美術界〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
美術界の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「丸善と三越」より 著者:寺田寅彦
この言葉のみが記憶に残っている。 五階には時々各種の美術展覧会が催される、今の
美術界の趨勢は帝展や院展を見なくてもいくぶんはここだけでもうかがわれる、のみなら....
「詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
て、芸術の二つの群から主張された。即ち一は詩壇に於けるマラルメ等の象徴派で、一は
美術界に於ける後期印象派の運動である。この後の者について言えば、彼等の美学は明ら....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
て、ヒイヒイ泣いた奴もありましたよ。ああいう蠅共を退治するには、腕力に限るです」
美術界の神聖のために、その風儀の維持のために、偽作者に、腕力制裁を加えることの正....
「回想録」より 著者:高村光太郎
て厭になったこともあるし、聞きながら憤慨を禁じ得なかったことも少くない。彫刻界や
美術界の受賞の掛引きなど、なかなか弟子達の間にあって、金賞、銀賞の振合がどうだと....
「ヒウザン会とパンの会」より 著者:高村光太郎
仲間ではペエル タンギイで通っていた。あらゆる意味から、この人ぐらい熱心に当時の
美術界に尽力した人はないであろう。 概括してヒウザン会の傾向をのべると、フォウ....
「ばけものばなし」より 著者:岸田劉生
こかにいそうな感じがある。 一体目というものはミスチックなものだ、近代フランス
美術界の、ルドンも一時|盛に目の玉をかいたものだ。大きな目の玉だけが、空中に太陽....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
が分らんのです。 私は、それまでは世の中がどういう風に進んでいるのか、我が邦の
美術界がどんな有様になっているのか、実の所一向知りませんのでした。また、実際そう....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ありました。 とにかく、明治十三年に生まれた竜池会というものは、その後に起った
美術界のいろいろな会の母でありました。そして好い根柢を植え附けたのであった。 ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
、大森惟中氏などを頼んで相談相手となってもらいました。 この人々は官民間で夙に
美術界のことに尽力していた人で、当時の物識りであり、先覚者でもあったのであります....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
どが独立して、種々雑多な会が現われて来ました。 要するに、東京彫工会もまた当時
美術界に貢献することの多かったことは美術協会に次いでの功績であったことと思います....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
けたようなわけで、別して山高氏には御心配をかけました。同氏は先申す通り、博識で、
美術界のために大いに尽くされた方で、池の端に宏壮な邸宅を構えておられました。今日....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
に努力され、またフランス人は費用を惜しまず、作家を援助したことをも申し上げ、共に
美術界には奨励の必要ということを奏し上げたとの事を私は承りました)。 かくて、....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
る所が多大でありました。 明治二十七年、第一回の美術学校卒業生は、いずれも今日
美術界の重鎮となっており、また二回、三回と続いて優技者の続出した事は美術学校の誇りであると思います。....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
し召しであるので、年金を給したのはいわば慰労金といったようなもので、多年|我邦の
美術界のために尽くした功労をお褒めになった思し召しであろうと推察される。そういう....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
正確なる伝記の漸《ようや》く不明ならんとするに当つてゴンクウルが研究考証は泰西の
美術界に貢献する所|僅少《きんしょう》ならざりしといふ。彼はその序にいへる如く北....