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義清
「義清〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
義清の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
、安曇郡、深志城〈松本〉) (4)木曾義康(木曾谷、福島城〈福島〉) (5)村上
義清(小県、埴科、更科、水内、高井諸郡、葛尾城) 信玄は、天文九年から、天文十....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
」 「義侠に富んでおわすからな」 「ナニ義侠? そうでもないが……」 「一つ村上
義清のため、信玄御坊と数度の合戦、これ義侠ではござらぬかな」 「なんの、あれは酔....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
中守|信茂《のぶしげ》はたしかこの城で二度の勇気を現わしているようだ。一度は村上
義清の手から逆襲された時、五十余人でこれを守って守り通してその間に信玄の援兵が来....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
十六日に七十三歳で死んだ。大体俊成と同じであるが、四歳年下であった。 名は佐藤
義清、憲清とも則清とも書き、法名は円位ともいった。徳大寺家の家人で、俵藤太秀郷の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
まれた馬上となって、近くの小高い山上の館へ入っていた。 その甲ノ尾の館は、祖先
義清いらい、一世紀余も住み古してきた代々の家だった。北の彼方に、国分寺の址がある....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
点も幾つかある。 たとえば、こんな例もある。西行法師の若年の俗称は、佐藤兵衛尉
義清であるが、史料まちまちで、別書には、則清とも見える。
義清か則清か、正確な判定....
「銀河まつり」より 著者:吉川英治
ろしく古い建物だった。 そもそも、戸狩の百姓たちへ火薬の製法を教えたのが、村上
義清に仕えた兵助の祖先ということであって、それが三百年の推移のうちに、雀化して蛤....