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翰林
「翰林〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
翰林の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
傑も、薄暮に燭を失って荒野の旅に疲れたる心地やしけん、堪えかねて泣き萎れたもう。
翰林学士の劉三吾、御歎はさることながら、既に皇孫のましませば何事か候うべき、儲君....
「阿宝」より 著者:田中貢太郎
は皆孫の作った文章に符合していた。そこで孫は郷試に選ばれ、翌年は進士に挙げられて
翰林を授けられた。天子は孫の不思議を聞いて召してお尋ねになった。孫は謹んで申しあ....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
得て帰り、蒐むるところの山水百余景を五巻に表装して献上した。帝これを嘉賞し、故|
翰林学士、芳九|連の遺子|黛女を賜う。黛は即ち芬の姉にして互いに双生児たり。相並....
「封三娘」より 著者:田中貢太郎
いてその容儀にきっとしたところがあった。三娘はそっと指をさしていった。 「あれは
翰林学士になれる方ですよ。」 十一娘はひとわたりそれを見た。三娘は十一娘と別れ....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
ンが政治におけるのと等しかった。すなわちヨーロッパ精神の調節機であった。フランス
翰林院《かんりんいん》は、一つのイギリス上院であった。旧制に成っている幾多の制度....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
が旅行中の文学者らにときおり感興を与えるテナーの小曲、などを通じてばかりだった。
翰林院《アカデミー》式の旧慣を墨守してる愚劣な作家らがローマという名をもち出すの....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
停車場があり、マザスの監獄がある。その懲罰機関までそなえて、なるほど進歩である。
翰林院《かんりんいん》を四国院と呼びオペラ・コミック座をフェードー座と呼び続ける....
「西鶴と科学」より 著者:寺田寅彦
い。こうした独断的否定はむしろ往々にしていわゆる斯学の権威と称せられまた自任する
翰林院学者に多いのである。例えばダイナモの発明に際してある大家がその不可能を論じ....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
れこそ柿油党(自由と同音、柿渋は防水のため雨傘に引く、前の黄傘格に対す)の徽章で
翰林を抑えつけたんだと思っていた。趙太爺は俄に肩身が広くなり倅が秀才に中った時に....
「岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
鑾殿という立派な御殿で、玄宗は李白を引見した。 帝、食を賜い、羹を調し、詔あり
翰林に供奉せしむ。――これがその時の光景であった。非常に優待されたことが、寸言の....
「黄泉から」より 著者:久生十蘭
パラフィン紙で包んだ、大きな花束を抱えている。ジュウル・ロマンの喜劇、「恋に狂う
翰林院博士トルアデック氏、花束を抱えて右手から登場」といったぐあいである。 メ....
「ノンシャラン道中記」より 著者:久生十蘭
布と水瓶を持って、二人の前に罷《まか》り出た時の仁義によれば、この部屋は、かつて
翰林院学士エピナック某《それがし》が、この島、すなわち「ベリイルランメール島の沿....
「三国志」より 著者:吉川英治
ら、「子を誡むる書」というのが出てきた。 その後、瞻は十七の時蜀の皇妹と結婚、
翰林中郎将に任ぜられた。 父の遺徳は、みな瞻の上に幸いして、善政があるとみな瞻....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
のである。 至って月並な言葉使いではあるが、俳諧には時代の生活が現われている。
翰林詞苑の文章は言うに及ばず、軍書から人情本までの何万種という小説は有っても、な....