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職制
「職制〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
職制の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「石狩川」より 著者:本庄陸男
、彼らは胸迫るように自分にうなずいていた。
しかし、正面の邦夷から見ると、昔の
職制はずいぶんと欠けていた。彼の左右に順々に、ご家老、ご医師、お小姓頭など表向き....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
年の四月二十四日である。次いで嗣子|貞固が目附から留守居に進んだ。津軽家の当時の
職制より見れば、いわゆる独礼の班に加わったのである。独礼とは式日に藩主に謁するに....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
本領安堵の御礼として、上京されていて、山本は目付となっていたが、これも諸藩一定の
職制を定められて公議人公用人という、その公用人をも兼ねていた。この役はもっぱら朝....
「アメリカ人に問う」より 著者:三好十郎
す。 たとえば、それを決定したときの統合参謀本部なり、そういった組織の構成員の
職制や人名や責任の分担など、それからそこでの決定とトルーマン大統領のサインのあい....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の江戸政体には、もう町奉行の組織だの、大庄屋制度をそのまま厳めしく延長したような
職制や民治が体をなしかかっていたが、民間の旧習というものは、上ができたからといっ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
「そう、江戸の奉行職は、何といわれたの」 「町のですか」 「されば、町奉行という
職制が、新たに設けられておるが」 「堀|式部少輔様でした」 駕籠が来る。輿に似....
「三国志」より 著者:吉川英治
「どうか、ご安心下さい」 玄徳は新野へ帰った。 この当時である。曹操は大いに
職制改革をやっていた。つねに内政の清新をはかり、有能な人物はどしどし登用して、閣....
「三国志」より 著者:吉川英治
に、もっぱら内治と対外的な防禦に専念し、漢中王玄徳は、成都に宮室を造営し、百官の
職制を立て、成都から白水(四川省広元県西北。蜀の北境)まで四百余里という道中の次....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
羅内に、 奉行所 を、設置した。六波羅奉行所とは、称えなかった。みゆるしにも
職制にもよらず、占領下さっそくな行政の一役所として私に設けたものであったからであ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、自分らのうえに、どう割り当てられて来るだろうかにかかっている。 また、新しい
職制の座をさして、その猟官に、やっきとなっている者は無数だった。 総じて、公卿....
「柳生月影抄」より 著者:吉川英治
「所謂ない事ではない。父但馬守は、過ぐる寛永七年この方、新たに設けられた幕府の
職制、大目付という要職に就かれて、剣道師範役を兼ねてお勤めになっておられる」 「....