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「臨済〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

臨済の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
虞美人草」より 著者:夏目漱石
心を乱す。女はただ心地よげに見やる。耶蘇教《ヤソきょう》の牧師は救われよという。臨済《りんざい》、黄檗《おうばく》は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸《ひとみ....
吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
》で道徳経を尊敬し、儒家《じゅか》で易経《えききょう》を尊敬し、禅家《ぜんけ》で臨済録《りんざいろく》を尊敬すると一般で全く分らんからである。但《ただ》し全然分....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
がら楼門の上に佇んで焚死して節義を全うし英雄の名を擅にした。 いわゆる、戦国式臨済僧であった。 紅巾を受け取り膝の上へ載せじっと見ていた長老はにわかにその眼....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
存在を説くの必要がありましょう。 向岳寺の開山は、抜隊禅師《ばっすいぜんじ》、臨済宗《りんざいしゅう》のうちにも抜隊流の本山であります。そこの尼寺を開いたのは....
十二支考」より 著者:南方熊楠
長々と出し遅れたは、ちょうどその頃|谷本富《たにもととめり》博士より、三月初刊『臨済大学学報』へ出た「蛇の宗教観」を示された。その内には自分がまさに言わんとする....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の親切なことをこまごまと教えてゆく時は、自分もホロホロと泣いてしまいました。 「臨済《りんざい》は三たび黄檗《おうばく》に道をたずねて、三たび打たれた。江西《こ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
うことに、かえって、私が驚かされたような有様でございました。尤《もっと》も私に、臨済《りんざい》と、普化《ふけ》との、消息を教えて下すって、臨済録の『勘弁』とい....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
から尺八を教えられる時に、竜之助はよく、尺八のいわれを聞かされたことであります。臨済《りんざい》と普化禅師《ふけぜんじ》との挨拶の如きは、父が好んで人に語りもし....
非情の愛」より 著者:豊島与志雄
く、一尺ほどで、文字が彫りつけてあった。「随処作主、立処皆真」というその二句は、臨済録の真諦をなすものであって、それがへんに秦の心にかかった。彼はそこに思念を向....
生活と一枚の宗教」より 著者:倉田百三
ないところの信仰というものが、はじめて目を見開くのであると思います。 ご承知の臨済という偉い禅宗の僧があります。この人はあらゆるものを奪っている。それで「飢児....
次郎物語」より 著者:下村湖人
かのころに日露戦争に従軍して、ほとんど失明に近い戦傷を負うた人であるが、その後、臨済禅にこって一かどの修行をつみ、世にいうところの肚のすわった人として、自他とも....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
と、全く一つのものであることを、はっきり認識したその意識を指すので、禅家の方殊に臨済宗の方で、やかましく言う修業上の心境の段階を指します。さとった人は、この有限....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
見ただけでは分りませんからね」 「但馬の出石村の生れで十歳で沙弥になり、十四歳で臨済の勝福寺に入って、希先和尚に帰戒をさずけられ、山城の大徳寺からきた碩学につい....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
寺。つまり私たちが勝手に、 道誉寺 とよんでいる佐々木道誉のぼだい寺である。臨済の一禅堂で、婆娑羅大名の道誉が晩年住んだ所だが、元より昔の宏大さはない。平常....