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「興行物〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

興行物の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
私の父と母」より 著者:有島武郎
、日本の方が遅れているので、速成の学校に通った。 小さい時には芝居そのほかの諸興行物に出入りすることはほとんどなかったと言っていいくらいで、今の普通の家庭では....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
国へ行き着くと、橋の修繕はなかなかの大工事であるらしく、その混雑のために広小路の興行物はすべて休業で、職人や人足を目あての食い物屋ばかりが繁昌していた。 「おい....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、拵え物でもなく、確かに正真の人間であるので、木戸番もびっくりした。 こういう興行物に変死人などを出しては、それこそ商売に障るのであるが、所詮そのままで済むべ....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
のあたりは肩摩轂撃、歩きにくいほどであった。 小芝居、手品、見世物、軽業、――興行物の掛け小屋からは、陽気な鳴り物の音が聞こえ、喝采をする見物人の、拍手の音な....
江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
もかんでも大きいものが流行って、蔵前の八幡の境内に、大人形といって、海女の立姿の興行物があった。凡そ十丈もあろうかと思うほどの、裸体の人形で、腰には赤の唐縮緬の....
大震火災記」より 著者:鈴木三重吉
日本を救えとさけび、フランス、イタリー、メキシコ、オーストラリヤでは、日をきめて興行物一さいをさしひかえ各戸に半旗を上げて、日本の不幸に同情を表し、義えん金を集....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
発は頗る性急のようでもあるが、その当時の習いとして、八月中は劇場、寄席、その他の興行物がすべて夏休みである。九月もまだ残暑が強いので、円朝などのような好い芸人は....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
儀がタダゴトではない。中橋英太郎といえば、今は時めく出世頭の一人。海外貿易商事や興行物ですごいモウケをあげているという評判の旦那だ。ズッシリ重い行李の中身は分ら....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
て来たのは、甚三の弟の甚内と、その妹のお霜とであった。 ここは両国の盛り場で、興行物もあれば茶屋もあり、武士も通れば町人も通り、そうかと思えばおのぼりさんも通....
俳優倫理」より 著者:岸田国士
のは当時の都市に於る唯一の広場です。そこで、おそらく、他の都市に於ても、この種の興行物は河原を選んで行われたろうと想像されます。ともかく、この歌舞伎の小屋が河原....
演劇への入口」より 著者:岸田国士
やすい正しい演劇への道をさし示そうとした。もちろん、この場合、演劇を単なる娯楽的興行物として、単なる職業の見地に立ってではない。それならば、手づるを得て、劇場の....
役者の一生」より 著者:折口信夫
元年には十歳になっていたであろう。木綿橋の近所である。一方、浜側には此時分二三の興行物が出ていた。その近所で、露地があちこちにあって、芸人の住いがあった。今も宗....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
に成功して、どうやら一つの商売になるようになった。そうして、壮士芝居という一種の興行物が出来あがったのである。元来の出発点が敵本主義で、芸術的の発奮があった訳で....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
なくして終れり。 ○八月、東京にコレラ大いに流行し、日々の新患者数百人、すべての興行物は停止を命ぜらる。 ○十月、警視庁令によって、劇場の興行時間を八時間と定め....