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芸術院
「芸術院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
芸術院の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
六日は三十四度という大暑、それやこれやに悩まされて、ひどく弱った。 九日は帝国
芸術院会員が初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事....
「斜陽」より 著者:太宰治
のお方のお名前は、あなたもご存じかも知れませんが、六十すぎた独身のおじいさんで、
芸術院とかの会員だとか何だとか、そういう大師匠のひとが、私をもらいにこの山荘にや....
「ソヴェト文壇の現状」より 著者:宮本百合子
教育人民委員長をしていたルナチャルスキーが、彼の歴史的場所を、ズブノフに譲った。
芸術院が改造されピクサーノフ教授、サクリーン教授などが退いた。 この灼熱的な客....
「近頃の話題」より 著者:宮本百合子
の可能性、即ち才能の具体化の可能性を守られているかということである。 先頃帝国
芸術院が出来、顔ぶれがきまった時、その一員となった或る文学者の近親が、勅任官待遇....
「文芸時評」より 著者:宮本百合子
ムに押しつける佐藤氏の人間的態度は腑に落ち難いのである。時評の中で佐藤氏は、帝国
芸術院が年金をきめていないことをあげ、芸術家の経済的窮乏が芸術家と政府とを惧《お....
「矛盾の一形態としての諸文化組織」より 著者:宮本百合子
・民間思想文化連合の統一体として財団法人「中央文化連盟」が結成された。先頃、帝国
芸術院が出来て、一般の関心をひいていることは云うまでもないことである。 明治以....
「今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
のであったが、一九三七年という年は、更に建国祭を期して文化勲章が制定せられ、帝国
芸術院というものが設立され、文芸懇話会は創立四年目に発展的解消をとげて、新日本文....
「平和運動と文学者」より 著者:宮本百合子
いるのだから、文化的な雰囲気をもたせなければならないというわけでしょう。この頃は
芸術院(これは各専門分野から養老院という辛辣な別名を与えられていますが)の会員と....
「今日の日本の文化問題」より 著者:宮本百合子
まだ利用価値のなかった若い画家たちばかりである。 文部省は一九四五年の十月帝国
芸術院会員の名によって翌年の三月に文部省主催の展覧会復活第一回展をひらくことを声....
「雨の小やみ」より 著者:宮本百合子
六月某日。
芸術院に谷崎潤一郎が入るようになったとか、ことわったとかいう記事が出ている。それ....
「はなしの話」より 著者:岡本綺堂
六日は三十四度という大暑、それやこれやに悩まされて、ひどく弱った。 九日は帝国
芸術院会員が初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事....
「思想動員論」より 著者:戸坂潤
、文化統制となると之に尤もらしい心得のある内閣は極めて乏しい。文化勲章制定と帝国
芸術院の創立とは、日本の非シヴィルな政府としては、驚くべき飛躍であったのだ。併し....
「一九三七年を送る日本」より 著者:戸坂潤
多少の文化的な自信を有つようになって来たのである。今年に這入って、文化勲章制定や
芸術院設立となって現われたものがそれである。 だが不幸にして、従来日本の文化は....