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若年寄
「若年寄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
若年寄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三右衛門の罪」より 著者:芥川竜之介
るよし、御鳥見役《おとりみやく》より御鷹部屋《おたかべや》へ御《ご》注進になり、
若年寄《わかどしより》より直接|言上《ごんじょう》に及びければ、上様《うえさま》....
「忠義」より 著者:芥川竜之介
こう思った林右衛門は、私《ひそか》に一族の中《うち》を物色した。すると幸い、当時
若年寄を勤めている板倉|佐渡守《さどのかみ》には、部屋住《へやずみ》の子息が三人....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
になったのだと、江戸時代ではもっぱら云い伝えていました。御庭番は吹上奉行の組下で
若年寄の支配をうけていましたが、隠密の役に限ってかならず将軍自身から直接に云い付....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
にあった。京都の町奉行|関出雲守がお輿の先を警護し、お迎えとして江戸から上京した
若年寄加納遠江守、それに老女らもお供をした。これらの御行列が動いて行った時は、馬....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
戸浪士を敵として戦い負傷までした諏訪藩の用人|塩原彦七ですらそれを言って、幕府の
若年寄ともあろう人が士を愛することを知らない、武の道の立たないことも久しいと言っ....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
という定例でございます、即ち正面の高座敷が将軍家の御座所でございまして、御老中、
若年寄、寺社奉行、大目附、御勘定奉行、郡奉行、御代官並びに手代其の外与力に至るま....
「近藤勇と科学」より 著者:直木三十五
敗兵達は甲板で、煙草を喫ったり、笑ったりしていた。 二 近藤勇は、
若年寄格。土方歳三が、寄合席。隊の名は、甲陽鎮撫隊。隊士一同、悉く、小十人格とい....
「北斎と幽霊」より 著者:国枝史郎
思わず呟いたが、つまりそれほどその八景は彼には満足に思われたのであった。 老中
若年寄りを初めとし林大学頭など列座の上、下見の相談の催おされたのは年も押し詰まっ....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
軍家を眩まし、奢侈と軟弱と贈収賄と、好色の風潮ばかりを瀰漫させておる。……老中、
若年寄、大目附、内閣は組織されていても、田沼一人に掣肘されて、政治の実は行われて....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
現われた五十恰好の坊主。これが主人の専斎で、奥医師で五百俵、役高を加えて七百俵、
若年寄直轄で法印の官を持っている。 「おおこれは藪殿で。ひどい目に遭いましてな。....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
身分は九千石の旗本で、たいしたものではなかったが、その権勢に至っては、老中も
若年寄もクソを喰らえで、まして諸藩の大名など、その眼中になかったものである。 ....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
を要約していう時は、金と女とを進物にして、閥をつくったということになる。
で、
若年寄をはじめとして、大目附であろうと町奉行であろうと、北条美作に対しては一目置....
「自画像」より 著者:黒島伝治
らんがともかく暮して居る。 まあ、農村からひょっくり東京見物に出てきた、猫背の
若年寄を想像せられたい。尻からげをして、帯には肥料問屋のシルシを染めこんだ手拭を....
「『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
れから二刻とたたぬ時であった。 伊賀袴をはいて竹胴を着けた武士が、一つ橋に近い
若年寄遠藤但馬守の辻番所の傍らまで落ちのびた時、ついに深傷に堪え兼ね、大老の首級....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
謂脾肉の嘆に堪えず、折柄渡来したる日本人に対し、もしも日本政府にて余を雇入れ彼の
若年寄の屋敷のごとき邸宅に居るを得せしめなば別に金は望まず、日本に行て政府のため....