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英俊
「英俊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
英俊の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
れまでに変った噂もきこえなかった。ほかに善了という二十一歳の納所《なっしょ》と、
英俊という十三歳の小坊主と、伴助という五十五歳の寺男と、あわせて三人がこの寺内に....
「運命」より 著者:幸田露伴
|丁巳、経を執って浦陽に潜渓に就きぬ。従学四年、業|大に進んで、潜渓門下の知名の
英俊、皆其の下に出で、先輩|胡翰も蘇伯衡も亦自ら如かずと謂うに至れり。洪武十三年....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
と云うのはこの人は将軍家の遠縁、元の老中の筆頭の、松平右近将監武元卿の庶子で、
英俊で豪邁な人物で、隠れた社会政策家で、博徒や無頼漢や盗賊の群をさえ、手下にして....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
る時代に生まれてその盛んならんとする時代に歿せしなり。俳句は享保に至りて芭蕉門の
英俊多くは死し、支考、乙由《おつゆう》らが残喘《ざんぜん》を保ちてますます俗に堕....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
の大温室の想像の根拠となるものはさしずめ東大寺の湯屋であろう。わたくしは後に筒井
英俊君の好意によって大仏殿の北東にある湯屋を見ることができた。これはさほど古いも....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
天草の乱が起っておりました」 「フム、義伝公。蜂須賀|至鎮とおおせられて、非常に
英俊豪邁なお方、巷間の伝えによれば、眼点の瞳が二ツあったとか承る」 「さよう、と....
「三国志」より 著者:吉川英治
に、曹操の檄は、時を得ていた。 日ならずして、彼の「忠」「義」の旗下には続々と
英俊精猛が馳せ参じてきた。 「それがしは、衛国の生れ、楽進、字は文謙と申す者です....
「三国志」より 著者:吉川英治
家柄はよく、後漢の名家の一つで、傑士荀淑の孫にあたっている。 名家の子や孫に、
英俊はすくないが、荀※に、 「王佐の才である」と、歓称されていた。 王佐の才と....
「三国志」より 著者:吉川英治
を公瑾といい、孫策に知られてその将となるや、わずか二十四歳で中郎将となったほどな
英俊だった。 だから当時、呉の人はこの年少紅顔の将軍を、軍中の美周郎と呼んだり....
「三国志」より 著者:吉川英治
れて、その領内に老後を養っている者が多かったことである。 さはいえ、また新進の
英俊も決して少なしとはしない。曹操以来、久しく一文官として侍側するに止まっていた....