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草生
「草生〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
草生の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜叉ヶ池」より 著者:泉鏡花
楼の上に立ちて夕陽を望みつつあり。鐘楼は柱に蔦からまり、高き石段に苔蒸し、棟には
草生ゆ。晃やがて徐に段を下りて、清水に米を磨ぐお百合の背後に行く。 晃 水は、美....
「灯明之巻」より 著者:泉鏡花
から煙を吹上げる。 「煙草銭ぐらい心得るよ、煙草銭を。だからここまで下りて来て、
草生の中を連戻してくれないか。またこの荒墓……」 と云いかけて、 「その何だ。....
「神鷺之巻」より 著者:泉鏡花
れて、顔の真中へ舌が出たのでは、二度と東京が見られない。第一汽車に乗せなかろう。
草生の坂を上る時は、日中三時さがり、やや暑さを覚えながら、幾度も単衣の襟を正した....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
んどない。 真向うは空地だし、町中は原のなごりをそのまま、窪地のあちこちには、
草生がむらむらと、尾花は見えぬが、猫じゃらしが、小糠虫を、穂でじゃれて、逃水なら....
「星女郎」より 著者:泉鏡花
な顔色して立っていた。 山逕の磽※、以前こそあれ、人通りのない坂は寸裂、裂目に
草生い、割目に薄の丈伸びたれば、蛇の衣を避けて行く足許は狭まって、その二人の傍を....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
つつ吾が哭く涙やむ時もなし(巻二・一七七) 御立せし島の荒磯を今見れば生ひざりし
草生ひにけるかも(同・一八一) あさぐもり日の入りぬれば御立せし島に下りゐて嘆き....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
であろう。浅草人種は千日前や道頓堀と往復ヒンパンの人種でもある。 淀橋太郎は浅
草生えぬきの脚本家であるが、終戦後突如銀座へ進出して銀座マンの心胆を寒からしめた....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
ら強かったようだ。十位のころに小学校で放課後に鬼ごっこして遊んでいたとき、疲れて
草生に仰向きにたおれると、二階の教室からオルガンの音が聞こえて来た。そしてとぎれ....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
リと浅草へ遊びに行った。ちょうど一年目だ。自然、淀橋太郎とか森川信というような浅
草生えぬきの旧友と飲み屋で顔が合う。話は自然に余人の旧悪に及ばず、主として拙者の....
「中毒」より 著者:織田作之助
ことを示したかっただけだ。因みに、私が当時ひそかに胸を焦がしていた少女に、彼等煙
草生徒も眼をつけていたのだ。 高等学校へはいっても、暫らくは吸わなかったが、一....
「山吹」より 著者:泉鏡花
方、杉の生垣を長く、下、石垣にして、その根を小流走る。石垣にサフランの花咲き、雑
草生ゆ。垣の内、新緑にして柳|一本、道を覗きて枝垂る。背景勝手に、紫の木蓮あるも....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
ののごとし。さればその性素樸勇悍にして、君に仕えては「海行かば水浸く屍、山行かば
草生す屍、大君の辺にこそ死なめ、のどには死なじと言ひ来る人たち」なりしなるべく、....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
た椿岳の真生活であって、軽焼屋や油会所時代は椿岳の先史時代であった。 椿岳の浅
草生活は維新後から明治十二、三年頃までであった。この時代が椿岳の最も奇を吐いた盛....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
つとめておりました。その大伴佐伯の祖先以来の家訓に、 海行かば水漬く屍、山行かば
草生す屍、大君の辺にこそ死なめ、のどには死なじ。 とあります。大君の御為には、....
「五重塔」より 著者:幸田露伴
初重の仕形だけのもあり、二手先または三手先、出し組ばかりなるもあり、雲形波形|唐
草生類彫物のみを書きしもあり、何よりかより面倒なる真柱から内法長押腰長押切目長押....