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莫逆
「莫逆〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
莫逆の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「胡氏」より 著者:田中貢太郎
ですから」 主人は黙って聞いていたが、暫くして言った。 「僕と胡先生とは、もう
莫逆の友になっております、結婚なんかしなくてもいいでしょう、それに児は、もう許婚....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
家庭でも会い、師迷庵の許でも会って、幼い時から親しくなっていたであろう。また後に
莫逆の友となった小島成斎も、夙く市野の家で抽斎と同門の好を結んだことであろう。抽....
「悟浄出世」より 著者:中島敦
子輿《しよ》というてな、子祀《しし》、子犁《しれい》、子来《しらい》という三人の
莫逆《ばくぎゃく》の友がありますじゃ。みんな女※《じょう》氏の弟子での、ものの形....
「ジーキル博士とハイド氏の怪事件」より 著者:佐々木直次郎
であったので、「デーモンとピシアス」という語は、漢語における管鮑の交、刎頸の友、
莫逆の友即ち親友を意味すること、「ジーキルとハイド」が二重性格を意味するようなも....
「潜航艇「鷹の城」」より 著者:小栗虫太郎
りませんか。 夫人は御承知でしょうが、シュテッヘ大尉は、フォン・エッセン閣下の
莫逆の友でありまして、同じ快走艇倶楽部でも、シーワナカの支部に属しておりました。....
「良夜」より 著者:饗庭篁村
に命じながら主公出で来られぬ。座を下りて平伏すれば、「イヤ御遠慮あるな伯父ごとは
莫逆の友なり、足下の事は書中にて承知致したり、心置きなくまず我方に居られよ」と快....
「魔都」より 著者:久生十蘭
いう劇しいのもいた。いうだけ野暮のようなものだが、これはジョン・ハッチソンとその
莫逆の友ルイ・バロンセリの二人でデッチ上げた芝居なので、これについてはまだ書くべ....
「「生活」+「戦争」+「競技」÷0=能」より 著者:癋見鈍太郎
でドロンゲームになったが、後にこの二人は某侯の御前で出会して、本名を名乗り合って
莫逆の友となった……というような話が「常山紀談」に載っている。 外国は知らず、....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
を纒いてその裸体を蔽いて礼を為せり。 先生の親友に高橋順益という医師あり。至て
莫逆にして管鮑啻ならず。いつも二人|相伴いて予が家に来り、互に相調謔して旁人を笑....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
た。緑雨の竹馬の友たる上田博士も緑雨の第一の知己なる坪内博士も参列し、緑雨の最も
莫逆を許した幸田露伴が最も悲痛なる祭文を読んだ。丁度風交りの雨がドシャドシャ降っ....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
くなると同時に外交官を志ざして旧外国語学校の露語科に入学した。その頃高谷塾以来の
莫逆たる西源四郎も同じ語学校の支那語科に在籍していたので、西は当時の露語科の教師....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
「それとも、何ぞご不服か」 すこし感情を害したらしく、わけて無二斎とは生前|
莫逆の友だったという内海孫兵衛丞などは、 「そんな法やある」 といわんばかりな....
「三国志」より 著者:吉川英治
れ、同時に暇を乞うて、綿竹関へひとたびかえった。 綿竹関の大将|費観と彼とは、
莫逆の友である。すなわち李厳は、この友に、玄徳の高徳を説いた。 「君がそれほど賞....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
春山禅師 と微かに読まれた。 何と往生日のよい和尚であろうか。生前武蔵と
莫逆の友であったというこの和尚は、武蔵の死後二十七年目の正月元旦に死んだものとみ....
「大谷刑部」より 著者:吉川英治
で、奥へ立ちながら、刑部は、 「はて?」 と、考えていた。 三成と刑部とは、
莫逆の友である。――佐和山と、敦賀とは離れていても、心はお互いに常に近かった。 ....