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菅原
「菅原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
菅原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
たと云う噂も、聞き及んだ事がございました。
いや、現に一時は秀才の名が高かった
菅原雅平《すがわらまさひら》とか仰有る方も、この御姫様に恋をなすって、しかもその....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
つですからこっちも一緒になって登りました。途中に菅公|硯の水というのがあります。
菅原道真は七歳の時までこの麓に住んでいたのだそうで、麓には今も
菅原村の名が残って....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
私は山陰線浜坂へ下車しました。ちょっと宅へよって五時頃ここを出発し、岸田川を遡り
菅原というおしまいの村に着いたのは十時過ぎでした。お天気がよいのですぐ昼食をして....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
年三月五日に、兵乱を避ける為め改元をした。応仁とは、 「|仁之感響」と云う句から
菅原|継長が勧進せる所である。 而も戦乱は、その年即ち応仁元年正月十八日に始ま....
「ある恋の話」より 著者:菊池寛
届物です』と云うのです。私はそれを聞いた時、舞台の上の美しい斎世宮――その時は、
菅原伝授手習鑑が芸題で、染之助は斎世宮になっていたのです――のまぼろしが消えてし....
「子供役者の死」より 著者:岡本綺堂
時刻が来たので、六三郎は一座の役者達と一緒に芝居小屋へ行きました。今夜の狂言は「
菅原」と「伊勢音頭」で、六三郎は八重とおこんとを勤めたのですが、いつもよりも鬘の....
「妖怪学」より 著者:井上円了
黄 応神天皇 九紫 仁徳天皇 三碧 聖徳太子 六白 弘法大師 二黒
菅原道真 三碧 円光大師 八白 親鸞聖人 八白 日蓮上人 五黄 一....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
「処女評判善悪鑑」の娘お浅などを見せた後、さらに浅草の吾妻座に移って、そこでは「
菅原」の梅王と菅丞相や、「月笠森」のおきつとおせんや、「於伝仮名書」の高橋お伝な....
「米国の松王劇」より 著者:岡本綺堂
白人劇の忠臣蔵や
菅原はかねて噂には聞いていましたが、今度米国へ渡って来て、あたかもそれを見物する....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
前からの屋号であったか判然しない。商牌及び袋には浅草御門内馬喰町四丁目淡島伊賀掾
菅原秀慶謹製とあった。これが名物淡島軽焼屋のそもそもであった。 軽焼という名は....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
に七百二十一名、藤原氏が五百八十名、平氏が百十三名の多きに及び、次に橘氏五十名、
菅原氏二十九名、賀茂(鴨)氏十四名、紀氏十二名、小野氏・越智氏各十一名、秦氏十名....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
をもって、南米行の三大要件となす。 十一月一日、晴れ。午前八時半、領事館芝崎、
菅原両氏とともに電車に駕してカヤオ港に至る。人口三万五千人ありて、ペルー第一の要....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
若座にて沢村清十郎は名題に昇進し、四代目沢村源之助と改む。 ○四月、春木座にて「
菅原実記」を上演。右団次の菅丞相が天拝山祈りの場にマグネシヤを用いて電光を見せ、....
「古事記」より 著者:太安万侶
の香の木の實というのは、今のタチバナのことです。この天皇は御年百五十三歳、御陵は
菅原の御立野《みたちの》の中にあります。 またその皇后ヒバス姫の命の時に、石棺....
「和製椿姫」より 著者:大倉燁子
た。一度は歌舞伎座の入口で、それはプリンセスのような素晴らしさでした。もう一度は
菅原好美の歌劇椿姫を観に行った時彼は彼女を見ましたが、いつも金持ちらしい数人の紳....