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著述家
「著述家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
著述家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「惜別」より 著者:太宰治
史|編纂をはじめ、契沖、春満、真淵、宣長、篤胤、または日本外史の山陽など、一群の
著述家の精神的な啓蒙によって口火を切られたのです。Materiell の慰楽を教....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
(その内には沢山の唯物論者や又所謂フランス・イデオローグをも含む)は単に哲学的な
著述家であるばかりではなく、文学的・演劇的・作家であり批評家・評論家であった。彼....
「世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
一 わたしの友達――
著述家で哲学者である男が、ある日、冗談と真面目と半分まじりな調子で、わたしに話し....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
いった。憐《あわ》れなジャックリーヌが惚《ほ》れ込んだ男は、ある運のよいパリーの
著述家で、美しくも若くもなく、鈍重で、赭《あか》ら顔で、擦《す》れっからしで、歯....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
うちに、またボーマルシェーのうちに、この種の少年の気質があった(訳者注 二人とも
著述家、次に出て来る人々も同じ)。浮浪少年気質はゴール精神の一特色である。それは....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
てみるがいい。マキアヴェリは決して悪き天才ではなく、悪魔でもなく、卑劣なみじめな
著述家でもなかった。彼はただ事実のみであった。しかも単にイタリーの事実のみではな....
「死刑囚最後の日」より 著者:豊島与志雄
々爺《こうこうや》を、一個の司祭だと諸君はいうのか。魂をも才能をも十分そなえた一
著述家がわれわれより前にこう言っている、懺悔聴聞者を追い払った後もまだ死刑執行者....
「聖女人像」より 著者:豊島与志雄
る。何か気に入らぬことがあれば「先生、また……、」と言う。――学校の教師でも豪い
著述家でもない私は、その先生という言葉に擽られたものだが、いつしか馴れてしまった....
「アインシュタインの教育観」より 著者:寺田寅彦
ャーナリストらしい。自身の序文にもそうらしく見える事が書いてある。いずれにしても
著述家として多少認められ、相当な学識もあり、科学に対してもかなりな理解を有ってい....
「フランケンシュタイン」より 著者:シェリーメアリー・ウォルストンクラフト
た。私はなんの気なしに答え、なかばそれを軽蔑しなから、自分の研究してきたおもなる
著述家として、煉金術者の名を挙げた。教授は、眼を見はって言った、「ほんとうに君は....
「決闘」より 著者:神西清
自分のことを空想していた。自分は若い修道司祭だ、伝道者だ。立派な経歴のある有名な
著述家だ。やがて掌院になり、つづいて監督になる。大本山で弥撤を司る。法冠に威儀を....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
なるや疑ひなし。 欧米における日本美術の研究はかくして千八百八十九年更に新進の
著述家を出すに至りて大《おおい》に研究検索の範囲を拡張せしめたり。ハンブルグの人....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
家だったのである。この審美的性質こそ一方で彼の哲学認識に大を加え、他方で彼を最高
著述家たらしめたのである。とはいえ、彼の技能は非常に特殊なものであって、彼は科学....
「福沢諭吉」より 著者:服部之総
一
著述家 慶応二年|丙寅《へいいん》初冬付『西洋事情』初篇は出版後一年間の売捌《....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ますその数を減じ、結局戦争が稀となるであろう」と論じている。 仏国の有名な軍事
著述家でフリードリヒ大王の殊遇を受け、一七七三年には機動演習の陪観をも許されたG....