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「蒲田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蒲田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
梓川の上流」より 著者:小島烏水
閉口した、宿屋界隈に多いのは蕗《ふき》で、大きいのは五、六尺の丈に達する、飛騨の蒲田から焼岳を越して来る人も、島々から徳本峠を越して来る人もこの宿で落ち合うが、....
上高地風景保護論」より 著者:小島烏水
屋は、まだ建っていなかった。その時分上高地峡谷に入る人は、猟師の外に、稀に飛騨の蒲田谷から、焼岳を越えて来るか、あるいはその反対を行く旅人を見るに過ぎなかったの....
特許多腕人間方式」より 著者:海野十三
早く伝えたかったので、余は事務所の表に錠をかけ、この通知書を懐にして、田方氏を、蒲田×丁目なる氏の止宿しているアパートに訪ねていった。 ところが、氏には、会え....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
えると、女は雪どけ道に悩みながら、おなじく江戸へむかって来るらしかった。町屋から蒲田へさしかかって、梅屋敷の前を通り過ぎたが、あまり風流気のない二人はそのまま素....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
都への大爆撃はあった。それは去る四月十五日深更より十六日暁へかけての夜間爆撃で、蒲田、荏原、品川、大森をやられ、大小の工場がほとんど全滅したとのことだ。なおこの....
単独行」より 著者:加藤文太郎
して諸賢の御満足を御期待致し得るは穂高小屋最上の愉快に候、尚ほ船津営林署に於ては蒲田温泉より白出沢を通じて当小屋に至る三尺幅の新道を開通し完全に危険を去り此の間....
青服の男」より 著者:甲賀三郎
用はないんです。又来ます」 卓一という男 北田卓一の住居は蒲田区内のジメ/\した低地にあった。卓一も独り者なので、永辻栄吉という家に同居し....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
の話である。 「ところで鏡葉之助ですがね、今でも活きているのですよ。この山の背後蒲田川の谿谷、二里四方もある大盆地に、立派な窩人町を建てましてね、そこに君臨して....
地獄の使者」より 著者:海野十三
す。もちろん庶子のイト子なんて見当らんです。しかし高橋の調べて来たのは本籍のある蒲田区役所のもので、あれは戦災で原簿が焼けて新しく申告したものに拠っているんです....
爆薬の花籠」より 著者:海野十三
だ) と、この新団長には、車内の広告が、はなはだ心配のたねとなった。 電車が蒲田駅につくと、二人は、あわてて下りた。 駅前にはバスがあるのに、黒川はそれに....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
夜から世間の有に帰した。 二十一歳の五月に私は入営をした。(この時分から伊藤は蒲田に移り住んでいたようである。)広島の野砲隊、三カ月の補充兵役である。 入営....
雑文的雑文」より 著者:伊丹万作
下げても差支えないが、他の人々、たとえば伊藤大輔氏にしろ衣笠貞之助氏にしろ、また蒲田の島津保次郎氏にしろトーキー監督としてすぐれた人でないといえないと思う。 ....
悪因縁の怨」より 著者:江見水蔭
相違しているが、地理でも非常に変化している。現代で羽田というと直ぐと稲荷を説き、蒲田から電車で六七分の間に行かれるけれど、天保時代にはとてもそう行かなかった。 ....
穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
して行くので、驚いて岳頂を見ると、はや雲深く※され、西穂高が間々影を現わすより、蒲田谷へ下りかけた事と知れ、折り返して頂上に出で、東北へと尾根伝いに下る。 此....
俗臭」より 著者:織田作之助
ち、商用で名古屋へ行った時、中村遊廓で、妻の妹に出会った。下ッ端だったが、彼女は蒲田の女優だったのだ。二三度、女中の役で出ているのを見に妻と一緒に常設館に行った....