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蓮台
「蓮台〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
蓮台の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
傍で茹《ゆ》で卵など剥《む》いていた。 「この間、島田で、大井川の川越しに使った
蓮台を持ってる家を見付けた。あんたに逢ったら教えて上げようと思って――」 それ....
「船医の立場」より 著者:菊池寛
黒船に乗るまでには、少しでも治療しておきたいと思った。彼は、下田から一里ばかりの
蓮台寺《れんだいじ》村にある湯が、瘡毒《そうどく》や疥癬《しつ》にいいということ....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
うな話じゃないか」熊城はボリボリふけを落しながら呟いた。「サア、そろそろ、天国の
蓮台から降りてもらおうか」
法水は熊城の好謔にたまらなく苦笑したが、続いて結論....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ク通セト云ッタラ、早々人足ガ出テ、大切ダ、播磨様ダトヌカシテ、一人前払ッテオレハ
蓮台《れんだい》デ越シ、荷物ハ人足ガ越シタガ、水上ニ四人並ンデ、水ヲヨケテ通シタ....
「百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
火葬ということは無かったから、みんな土葬で棺《ひつぎ》は三尺程高い箱棺で、それに
蓮台《れんだい》と天蓋《てんがい》とはお寺に備えつけのものを借りて来て、天蓋には....
「狸と俳人」より 著者:田中貢太郎
安永年間のことであった。伊勢大廟の内宮領から外宮領に至る裏道に、柿で名のある
蓮台寺と云う村があるが、其の村に澤田庄造という人が住んでいた。 庄造は又の名を....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
着きぬ。十一月一日に六郎左衛門が家のうしろの家より、塚原と申す山野の中に、洛陽の
蓮台野のやうに死人を捨つる所に、一間四面なる堂の仏もなし。上は板間合はず、四壁は....
「雪の宿り」より 著者:神西清
かの秘やかな啓しなのでもあろうか。それでは自分も一応は浄火の界を過ぎて、いま凉道
蓮台の門さきまで辿りついたとでも云うのか。いや何のそのような生易しいことが、と貞....
「夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
度孔雀に、駕し左右四つの手に、各宝珠を捧げ説法の印を結んだ異形の女身仏が、背上の
蓮台の上に趺座しているのだ。それは、如何にも密教臭い、病理的なヒステリカルな暗い....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
わたしと同じ桟敷で見物していた各新聞社の劇評家は大抵あとや先に凋落して、いわゆる
蓮台座の見物人となってしまった。さきに物故した松居松翁君は二十七年の十月頃から『....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
と称するものは、禁裏御所のお庭掃除のお役をつとめておりました。この小法師は後には
蓮台野部落や、大和の部落から出ております。 かくの如く穢多の源流を尋ねてみます....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
軒 七百八十九人 六条村 四十六軒 百二十三人
蓮台野村 二十軒 百十六人 北小路村 四十四軒 ....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
に至り、大和丹波市ほか六村から八人のものが許されて、小法師役を勤める事になった。
蓮台野から出る事になったのは、この後の事かと考えられるが、年代が確かでない。或い....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
ったが、これが中頃失策があって、一時は大和や丹波から出ておった。後にはこれも京都
蓮台野から出て、相変らず小法師と呼ばれ、年七石の御扶持米を頂戴しておった。これが....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
れを奉仕し、享保十二年以後は大和丹波市外六人のエタ村から出役し、さらに後には京都
蓮台野からもこれを勤めておった。丹波山国は戦国時代における皇室御料の最後のものと....